取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
料理の道に入って60年。日本の食文化への尽きぬ興味、好奇心を、幼少時代から親しんだ朝の“おかいさん”が支えている。
【奥村彪生さんの定番・朝めし自慢】
奥村彪生(おくむらあやお)さんは、洒脱な話術で関西を中心にテレビでも活躍の料理研究家である。だが、この人の最大の功績は、伝承料理研究にあるだろう。
伝承料理研究とは、縄文時代から今日まで日本人は何をどう食べてきたか。外来の食文化をどう選択し、受容・改造・定着・昇華させてきたかを探る学問である。それを基に、奈良時代の皇族・長屋王の邸宅跡から出土した木簡を読み解き、当時の食事を再現したのもこの人、奥村彪生さんである。
昭和12年、和歌山県すさみ町に生まれた。兄たちは惣菜店を営んでおり、学校に行く前にその手伝いをするのが日課だった。地元の高校を卒業後、近畿大学理工学部に入学するが、3年で中退。少年時代から身近にあった料理の道を極めんと、土井勝料理学校に入る。
「そやけど、授業中に質問しすぎて退学命令が出た。土井先生に呼ばれて、“作り方の説明だけで理論がない、科学がない。それがあれば応用がきく”と反論すると、その生意気さが気に入られ翌々日、そのまま職員になったのです」
職員時代に民俗学に興味を持ち、風俗史学会に入会。そこで出会ったのが、食物史学者の篠田統さんだった。篠田さんから“食文化をやるのなら古典に当たれ、必ず現地に足を運べ”と教えられ、伝承料理の道がスタートした。30代以降は文献を読み、カメラと録音テープを携えて全国を回った。
「篠田先生を通じて、石毛直道さんとも出会えた。石毛さんの『食生活を探検する』を読んで感動した、憧れの人でしたから……」
昭和48年から石毛氏とふたりで、日本料理を紹介するためにヨーロッパを回ったのも財産となった。
残りご飯利用の“入れ茶粥”
80歳を超えた今は、“食”の道60年の知識と実践を生かして、伝承料理の再現と新たな商品開発が主な仕事だ。そんな奥村さんの朝食は、物心ついた頃から“おかいさん”である。
「関西ではご飯は“晩炊き”が一般的で、僕が生まれ育った和歌山では“入れ茶粥”といって、朝は昨晩の残りご飯をほうじ茶で炊く“おかいさん”が定番。これに漬物や常備菜があれば上出来です」
茶粥には春から夏なら青豆や空豆、秋には栗、冬はさつまいもなどを入れて季節感も味わうという。
万葉歌を朗唱し、万葉人の食事を思い、再現する
奥村彪生料理スタジオ『道楽亭』は、奈良盆地西端の香芝市にある。同市は万葉歌碑が点在する『万葉集』ゆかりの地だが、
「僕と『万葉集』との出会いは万葉故地の香芝市に住んでいたからではなく、篠田先生(前述)に“食文化を追求したいのなら『万葉集』や『古今和歌集』ぐらいは諳んじておけ”といわれたから。30年ぐらい前に『万葉集』を歌う先駆者である歌枕直美さんと知り合い、奈良の会員制ホテルで掛け合いコンサートを開いたこともあります」
たとえば歌枕さんが、額田王の〈あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る〉(巻1・20)と歌えば、奥村さんが大海人皇子の返歌〈紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも〉(巻1・21)と朗唱で返すという粋なコンサートだ。
もちろん、それだけではない。日本唯一の伝承料理研究家のこと、『万葉集』の中から食べ物の歌を選び、万葉人の食事に思いをはせ、それを再現するのも仕事のひとつ。1200年の時空を超えて、当時の食事や暮らしぶりが立ち昇ってくるという。
取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
※この記事は『サライ』本誌2019年12月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。