取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
国産の木材を求めて、日本中を東奔西走する林業家。その元気の源は週2〜3回、実家で摂る母手作りの朝食、野菜中心だ。
【柴原薫さんの定番・朝めし自慢】
林業家・柴原薫さんは、長野県南木曽町で材木商と建設業を営む。扱うのは、主に木曽ヒノキである。雨が多く、寒さの厳しい木曽谷の斜面は日当たりが乏しく、朝晩、夏冬の寒暖差が激しい。そのため年輪が極めて細かく、狂いのない丈夫なヒノキとなる。伊勢神宮などの社寺用材として使われてきた歴史が、それを物語っていよう。
「なかでも新月伐採のヒノキが重用されてきました。冬場の、それも新月の頃は木が休眠状態にあるため燃えにくく、割れや狂いが生じにくいからです」
これまで神社仏閣を中心に木材を納めてきた。また、千葉県にある『風の谷保育園』は釘や接着剤を使わず、無垢の国産材のみで建設。今も見学者が後を絶たないという。が、その道のりは決して順風満帆ではなかった。
昭和35年、長野県南木曽町に生まれた。中央大学卒業後、父が創業した『南木曾木材産業』に入社。平成17年に社長の座を引き継ぐが、当時、日本の林業は輸入材に太刀打ちできず衰退の一途をたどっていた。全国の同業者は次々に倒産。ストレスから十二指腸潰瘍、片頭痛、無呼吸症候群にも陥った。
そんな時、ある人のひと言で覚悟を決める。そのひと言が“ 唾面自乾”である。
「たとえ顔に唾をかけられても拭ったりせず、自然に乾くまで我慢しなさい、という意味。この言葉で目先の利益を求めず、あえて遠回りして歩こうと決めました」
それは木曽の地で深く根を張って、日本の山々を守り育てることに命を懸ける覚悟でもあった。
常備菜に肉や卵をプラス
今は南木曽の本社と東京事務所を行き来する日々。いずれの地でも朝食の習慣はなかったが、それが数年前から変わったという。
「父が倒れてからその病床を見舞い、母の看病疲れを癒すために、朝、実家に顔を出すようになった。父は昨年亡くなりましたが、今も週に2〜3度は実家を訪ね、母と一緒に朝食を摂るのが習慣です」
母のハナヨさん手作りの朝食は、上の写真の通り。
「保存食として常備しているものが中心。ただ、息子のために豚肉や卵も欠かしません。南木曽の田舎料理ばかりですが、友達との情報交換で新しい料理も取り入れるように心がけています」
とハナヨさん。その新しい料理が、“チコリボード”だという。
国産木材を使い、職人の技を結集した『ひのきの里』
今年、東京・北千束に『ひのきの里』が完成した。日本の木を使った完全木造の賃貸集合住宅である。施主の『幸栄企画』社長、鍵山幸一郎さんが語る。
「日本の素晴らしい資産である国産木材を使う、日本の伝統である職人技を生かす、木の持つ癒しの力を住人が感じる住まいにする。この3つを柱にプロジェクトがスタートしました」
広さは1LDK(70平方メートル)~2LDK(65~70平方メートル)で、2世帯ずつの地上3階建ての全6世帯。施工は『南木曾木材産業』、そう柴原薫さんの会社である。
「“チーム柴原”を組んで大工さん、建具屋さん、左官屋さんら一級の職人さんを全国から集めました。今は2×4(ツーバイフオー)建築の普及により、職人さんが腕を磨き、技を披露する場がない。皆、喜んで参加してくれました。木材はわが社が納品。手塩にかけて育てた木曽ヒノキが中心です」(柴原さん)
『ひのきの里』をきっかけに、日本の木材消費が伸び、職人の技が後世まで受け継がれることを願ってやまない。
※『ひのきの里』問い合わせ先:幸栄企画 Fax:03・5712・8810 詳細は『朴の森』HP(http://ho-no-mori.jp)をご覧下さい。
取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
※この記事は『サライ』本誌2018年11月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。