文/中村康宏

“働き方改革”が声高に叫ばれる昨今、労働者の生産性の向上は日本の企業が優先して取り組むべき課題となっています。「生産性」と聞くと“残業時間”や“フレキシブル・ワーク”などの言葉が頭に思い浮かぶと思いますが、実は、生産性は「労働者の健康」に大きく依存するのです。働き方と労働者の健康、そして労働者の健康と職場における生産性はどのように関連しているのでしょうか? 今回は健康状態が生産性に及ぼす影響について「オカネ」の観点から解説します。

■生産性が残業時間と直結する理由

『広辞苑 第五版』では、「生産性」について“生産過程に投入された一定の労働力とその他の生産要素が生産物の産出に貢献する程度”と解説されています。(*1)つまり、数字で表されるものなのです。この広辞苑の文章を数式で表すと「生産性=産出量÷投入量」となり、投資効率(ROI: Return On Investment)と同様の概念と考えることが出来ます。これを国単位で考えると、国の生産性は、収入を得るために働いた人数と時間と考えることが出来ます。つまり「生産性=GDP(国内総生産)/就業者数×労働時間」の等式が成り立ちます。「会社で残業時間を厳しく言われる!」という人も多いのではないでしょうか? それは残業時間が生産性を求める式の分母に入っているため、残業時間が長ければ長いほど生産性の数値が小さくなるからです。

■ストレスによる労働損失は国家予算の1/3に匹敵する

生産性を上げる中で注目されているのが「社員の健康状態」なのです。実は、健康関連の企業コストは医療費だけではありません。これまでの研究で、従業員の健康状態による労働損失は年間30兆円(1ドル=115円換算)を超えると言われています。(*2)特に、休暇を取るほどではないがなんとなく調子が悪い、いまひとつ仕事がはかどらない、など職務が遂行できない時間や仕事の質の低下による労働損失が、欠勤や病気治療による医療費をはるかに上回っていることが明らかとなっています。この状態を“プレゼンティーズム(presenteeism)”と呼び、プレゼンティーズムによる年間の企業損失は18兆円以上と言われています。プレゼンティーズムの原因によって労働損失の幅はありますが、例えば、不安・うつ・意欲低下による労働損失は1時間あたり2000−3000円と言われています。(*3、4)

■「健康なこと」と「健康と感じていること」は別物

そもそも英語には、“健康”を意味する言葉に「ヘルス」と「ウェルネス」の2つがあります。「ヘルス(Health)」は、病気ではなく、身体的には体力があり、精神的なストレスに上手に対応でき、社会的に豊かな人間関係がある状態とされます。一方の「ウェルネス(Wellness)」は、こちらも「健康」と訳すことができる言葉ですが、病気の治療という範疇を超えて、予防と健康増進に重きを置く考え方です。つまり、健康であり健康と感じている状態をウェルネスと呼びます。

「健康なこと(=ヘルス)」と「健康と感じていること(=ウェルネス)」の違いは労働損失の特徴にも現れます。健康が脅かされると投薬や治療が必要になり“医療費”が増えていきます。一方、労働損失の多くを占めるプレゼンティーイズムにはストレスや職場環境の要因が関連していて、健康状態よりも「健康に感じていないこと」でコストは大幅に膨らむことがわかっています。(*4)

カラダが健康なことだけに気がいきがちですが、心身とも健康的に働けるストレス対処能力や活き活きと働くための職場環境の整備が求められます。アメリカでは「ワークサイトウェルネスプログラム(work-site wellness program)」という職場環境改善プログラムが存在しますが、これは企業側も本気で生産性の改善に取り組んでいる証しでもあります。

■企業が職場環境の改善で得られる投資効率は?

過去の「職場ウェルネスの促進のROI」に関する論文によると、医療費削減のROIは348%、欠勤減のROIは582%となっています。(*5)さらに、個人が認知行動療法などでストレス対処能力・環境適応能力を身につければ、小さなつまづきで職場や仕事に「不適」「能力が足りない」と考えられていた人の能力を最大化できる可能性が示唆されています。また、企業側も、有能かつ環境適応能力の高い人を選んで採用することは容易なことではありませんが、ある程度能力のある人を職場・仕事に適応させ能力を引き出すことができれば採用コストや生産性を大幅に改善することができます。

以上、健康状態が生産性に及ぼす影響ついて解説しました。この記事を読んでいる方々の中にも「少しカラダがだるい」「微熱がある」と感じながら仕事をしている人も多いでしょう。しかし、欠勤よりもその状態で働いている(=プレゼンティーイズム)方が仕事の効率が悪いのです。アメリカではこのようなコストに企業が積極的に取り組み、健康かつ活き活きと働くことができる職場環境作りがなされています。同時に、個人も予防意識を高くもち自己管理・コンディション作りに精を出します。日本でもこのような動きが加速すると、職場環境作りを疎かにする企業/自己管理の甘い人はその責任を問われる時代になるでしょう。生産性の観点から、社員 /自分のウェルネス・職場環境を見直してみてはいかがでしょうか?

【参考文献】
1.広辞苑 第五版
2.Population Health Management 2011; 14: 93–8
3.The Center for Work and Health 2003
4.The Industrial Health 2013
5.Art of Health Promotion 2003: 1-16


文/中村康宏
医師。虎の門中村康宏クリニック院長。アメリカ公衆衛生学修士。関西医科大学卒業後、虎の門病院で勤務。予防の必要性を痛感し、アメリカ・ニューヨークへ留学。予防サービスが充実したクリニック等での研修を通して予防医療の最前線を学ぶ。また、米大学院で予防医療の研究に従事。同公衆衛生修士課程修了。帰国後、日本初のアメリカ抗加齢学会施設認定を受けた「虎の門中村康宏クリニック」にて院長。未病治療・健康増進のための医療を提供している。

 

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