新型コロナウイルスの感染が広まる中で、感染予防として、また後遺症の治療に漢方薬が有効であったということをご存知でしょうか。
『漢方で感染症からカラダを守る!』の著者である渡辺賢治医師はこう言っています。
「漢方は、ウイルスそのものを標的として治療するものではなく、ウイルスを攻撃するのは、私たち自身が持つ生体防御能(または、生体防御機能)であり、漢方による治療はその力を十分に引き出すことが目的です」
ワクチン接種が進み、新型コロナウイルスの感染拡大が収束してきたようですが、いつまた感染が広まるかわかりません。人間が持つ生体防衛能の力を引き出す効果が期待できる漢方について、渡辺医師の著書『漢方で感染症からカラダを守る!』から紹介します。
文・渡辺賢治
日本の漢方医学は実学重視
「漢方」とは日本で独自に発達した伝統医学を指す。 中国の伝統医学は「中医学」、韓国では「韓医学」と呼ばれ、共通点も多い一方 で、WHOが提唱するように、地域の多様性も重視すべきであろう。 東アジアにおいて古代中国は、ヨーロッパにおけるラテンのような存在だから、 共通する部分も多いのだが、古代中国に発した源流が分岐して長いときを経るうちに、各国において、多様な伝統医学に発展していったのである。 漢方は、中国から5〜6世紀に伝わった医学が、日本風に発展してきたものだ。
江戸時代にオランダから西洋医学が伝わって「蘭方」と呼ばれるようになると、それまでの独自の医学を区別する必要が生じて、「漢方」と命名されたものである。
従って、漢方はわが国の造語であり、国際的には、Kampo Medicine は Traditional Japanese Medicine を意味する。日本の伝統医学が中国から離れたのは、起源においては非常に実践的だった古代中国の医学が、時代が下るとともにどんどん観念的になっていったからだった。
中国で1800年前に書かれた医書『金匱要略(きんきようりゃく)』や『傷寒論』は、治療のためのシンプルな指示書である。たとえば「熱が出て、汗が出ないときにはこの薬がいい」「熱とともに汗が出て、こんな状態ならこの薬を使う」など、きわめて具体的に記されている。
しかも、現在でも実際に効果がある。 ただ、効果があると「なぜこの薬が効くのか」「どうしてこの病気が治ったのか」と、理論で説明したくなる。文明国ほど、その誘惑に駆られてしまうのかもしれないが、中国では理論を肉づけしていくなかで、実践から離れてしまう。
これに対し日本では、江戸時代に「シンプルな『傷寒論』の時代に戻ろう」という運動が興り、独自の伝統医学である漢方の体系ができあがっていったのである。これを古方派と呼ぶが、その代表が吉益東洞(よしますとうどう)である。
吉益東洞はその著『類聚方(るいじゅほう)』の冒頭に「医の学たる、方のみ」と断言し、余計な理論をすべて排除し、治療結果でのみ効果を示す、という実学を重んじる漢方の礎を築いた。また、東洞は日本独自の診察法である「腹診」を重視した治療を行ったことにおいても、日本漢方の祖と呼ばれている。
西洋医学と伝統医学を融合した統合医療の時代
1990年に世界中で、西洋医学以外の治療にも注目した「補完代替医療」が注目されるようになった。しかし最近の潮流は、両医学を融合した「統合医療」である。
2019年にはWHOの国際疾病分類第11版が承認されたが、このなかには日中韓の伝統医学の分類が入っている。漢方の「証」についても言及のあるこの新しい章は、その分類だけを使用するのではなく、西洋医学的病名とともに伝統医学の分類を用いることが推奨されている。これも統合医療の考えである。
東西医学はそれぞれに長所、短所を持っている。分析と病因追究により発展した 西洋医学は、遺伝子レベルで病気を捉えることができるようになっている。その一方で、システムとしての生体を理解するには、局所のみでは理解できない。一方、東洋医学は全体把握には適しているが、局所の治療においては西洋医学のほうに利がある。
こうした両者の長所を生かして、短所を補い合う「採長補短」の考え方は、『重訂解体新書』に関わった大槻玄沢が提唱している。
世界に先駆けて全身麻酔で手術に成功した華岡青洲(はなおかせいしゅう)も、東西医学の両方を駆使した先駆者である。麻酔薬である「通仙散」を「蔓陀羅華(まんだらげ / チョウセンアサガオ)」や、「附子(ぶし /トリカブト)」といった生薬から作り、手術前後には漢方薬を用いて術後の回復を早めた。
現在の日本では、医師の8割以上が、日常診療に漢方薬を用いており、医療現場では、当たり前のように東西医療が融合した医療を受けることができる。 WHOが国際疾病分類に新たに伝統医学の章を盛り込んだことで、こうした動きが国際的にも加速することが期待される。
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渡辺賢治(わたなべ・けんじ)
慶應義塾大学医学部卒、医師・医学博士。慶應義塾大学医学部内科、東海大学医学部免疫学教室、米国スタンフォード大学遺伝学教室、北里研究所 ( 現・北里大学 ) 東洋医学総合研究所、慶應義塾大学医学部漢方医学センター長、慶應義塾大学環境情報学部教授を経て、1931年に開設された漢方専門医院、修琴堂大塚医院院長に就任。日本内科学会総合内科専門医、日本東洋医学会漢方専門医。横浜薬科大学特別招聘教授、慶應義塾大学医学部漢方医学センター客員教授、WHO 医学科学諮問委員、WHO 伝統医学分類委員会共同議長、神奈川県顧問、奈良県顧問、漢方産業化推進研究会代表理事、日本臨床漢方医会副理事長等を兼ねる。