新着記事

倭ism 鹿革のカジュアルシューズ|履き込むほどに味が出る、大人の快適スニーカー

Abbaye Saint Martin du Canigou(C)ADT66(1)

想像もできない切り立ったピレネー山脈の尖峰に建つ天空の修道院|「サン・マルタン・デュ・カニグー修道院」(フランス)

【娘のきもち】連れ子結婚の残酷な現実。「娘を開放してほしい」と両親は元夫の前で頭を下げてくれた~その2~

【娘のきもち】連れ子結婚の残酷な現実。「娘を開放してほしい」と両親は元夫の前で頭を下げてくれた~その1~

“マイクロチップ装着の義務化”には賛否両論…“条件付き賛成”が多数 |ペットと高齢化に関する意識調査

“犬と猫のマイクロチップ装着の義務化”どう思う? |「改正動物愛護法」とペットの健康を考える

ヘルニア・狭窄症・坐骨神経痛 太もも裏の痛みやしびれを改善するストレッチ&トレーニング【川口陽海の腰痛改善教室 第25回】

ヘルニア・狭窄症・坐骨神経痛 太もも裏の痛みやしびれを改善するストレッチ&トレーニング【川口陽海の腰痛改善教室 第25回】

炭素鋼メッキ爪切り|変形爪もささくれも自在にカット 懐かしきニッパー型爪切り

だんご三兄弟!? 個性派ぞろいのシャトー・メルシャン3ワイナリー長の素顔に迫る

画像では見えませんが、ブレーキにはポルシェ用のブレーキポッドとローターが奢られています

【私のクルマ遍歴】スカイラインとカローラレビンを売却し、ついに出会った、BMW『E36』の高性能チューニングカー『M3』(後編)

程度の悪さのおかげで、遠慮することなく未舗装路も走れたそう

【私のクルマ遍歴】“ダルマセリカ”から始まり、カローラレビンにチェイサー。トヨタエンジンの気持ちよさにこだわった青年期(前編)

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

ピックアップ記事

  1. ゆったりした船上にラウンジのようなソファが設えてあり、最大8人が乗れる。風を感じながら航走する爽快感を分かち合える。
  2. 美しい海に囲まれたラロトンガ島。ここムリビーチは島を代表するビーチで、遠浅のラグーンに、白い砂浜が広がる。
  3. ファストバックはリアのデザインが特徴的。セダンは伸びやかなデザインでありながら「塊感」があり、走る姿も美しいと想像させるものに仕上がっている。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

蕎麦(そば)

蕎麦切り寺の「絶対秘仏」を撮ることになった

14_sekiyama8567_2

「正月蕎麦の伝統」でちょっと触れた、新潟県妙高山麓の幻の蕎麦切り寺「宝蔵院」の本尊は、絶対秘仏であり、長い間、一般の人々の目に触れることはなかった。それが今回、特別の計らいで、片山が写真を撮らせていただくことになった。この撮影が終わった後は、再び秘仏として封印され、二度と撮影を許可することはないということだ。

妙高市に残る記録によると、この仏像は昭和36年に文化庁の依頼で、関係者が調査したことがあった。人の目に触れないよう、厳重に釘を打たれた古い木箱を前にして、誰もがそれを開けることをためらった。そのため当時の国立文化財研究所所長であった田中一松氏が箱を開いた。中の仏像を一目見て、即座に「新羅(しらぎ)仏」であると鑑定したという。

新羅仏とは、朝鮮半島の新羅から渡来した仏像のこと。その後、鉛の同位対比の分析を含む綿密な調査が行われ、この仏像は飛鳥時代、六世紀ごろに、朝鮮半島の百済から渡来し、大和、信濃を経て、この地にもたらされた可能性が高いことが明らかにされた。日本で仏像が鋳造され始めたのは六世紀末からだが、それより古い時代に渡来したとされる、歴史的にも貴重な仏像である。

この百済仏を本尊と祀る宝蔵院の寺領に、蕎麦の食文化が花開いた。蕎麦は、この百済仏の信仰を下支えする重要な役割を担ったのだ。

百済仏が渡来した飛鳥時代、都は現在の奈良県高市郡明日香村付近にあった。なぜ、そのように貴重な仏像が、都から遠く離れた妙高山麓に祀られたのだろうか。

当時、妙高山麓付近は、本州東部以北に居住していた北方の人々、蝦夷と対峙する最前線となる地域だった。奈良から見れば、まさに辺境の地。これより北は朝廷の威光の及ばない土地となる。そこで朝廷は、仏教を通して、蝦夷の人々を懐柔、支配するために、この地に貴重な仏像を安置したのではないかと推測されている。

蕎麦がいつ頃からわが国で栽培され始めたのか、まだ定説はない。しかし、妙高山にほど近い野尻湖の湖底からは、約1500年前のソバの花粉が大量に発見されている。百済仏が都からもたらされた時代、この地でソバはすでに栽培されていたと考えられている。

宝蔵院の日々の出来事を仔細に綴った、これも極めて貴重な記録「宝蔵院日記」と呼ばれる古文書がある。正徳2年(1712)から慶応4年(1868)まで150年以上にわたり、寺で執り行われた宗教行事を始めとして、政治、経済、民族、交通、気象、災害、食文化などを詳細に記録したものだ。この時代の、これだけ長期間にわたる綿密な記録は極めて珍しく、歴史的資料としても重要な文書だ。

ページ:

1

2

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 蕎麦好きなら挑戦!「蕎麦にまつわる雑学クイズ」10問
  2. 落語家・柳家小満ん師匠が指南する「もり蕎麦をいただく作法」
  3. 「もり蕎麦」の旨い店7軒に“蕎麦の旨さの秘密”を探った
  4. 西馬音内そば|じわり人気の“冷たいかけそば”【知られざる秋田・羽…
  5. 江戸っ子は蕎麦もうどんもコレで食べてた!滋味深い江戸の味噌つゆ「…
PAGE TOP