肥土伊知郎(あくと・いちろう)昭和40年、埼玉県生まれ。東京農業大学卒業後、サントリー入社。平成16年にベンチャーウイスキー設立。同社のウイスキーは世界的に評価が高い。
7つあるうちのひとつの第一貯蔵庫。露出した土の上に、自社の樽工場で作られたミズナラ樽などに詰められた原酒が1000樽近く積まれている。

「いいものを造ればきっと評価される。そこにロマンを感じたんです」

──「イチローズモルト」が内外で好評です。

「先日、『WWA(ワールド・ウイスキー・アワード)2023』のブレンデッドウイスキー・リミテッドリリース部門で、通算6回目となる世界最高賞を獲得することができました。とはいえ実は、私たちのウイスキーだけでなく、日本のウイスキー自体が、世界から高い評価を受けているんです」

世界で最も権威のあるウイスキー品評会・WWA(ワールド・ウイスキー・アワード)2019で同社のウイスキーが世界最高賞に。写真/ベンチャーウイスキー

──詳しく教えてください。

「スコットランド(英国北部)のスコッチ・ウイスキー、アイルランドのアイリッシュ・ウイスキー、米国のバーボン・ウイスキー、カナダのカナディアン・ウイスキー、そして日本のジャパニーズ・ウイスキー。この5つを『世界5大ウイスキー』といいます。日本のウイスキーは評価が高く、ここ最近はこうした世界的な賞の常連です。竹鶴政孝さん(サントリー山崎蒸溜所初代工場長)が日本で本格的なウイスキー造りを始めて今年でちょうど100年ですが、ジャパニーズ・ウイスキーには伝統と改善があると称賛されています。現在は日本各地に蒸留所ができ、味と質を競い合っています。私たちの蒸留所を秩父(埼玉県)に作ったのは、今から16 年ほど前ですが、当時はそんな奇特なことをする人間はいませんでした。時代の変化を感じますね」

──なぜウイスキー造りを?

「元々、家が江戸時代から続く造り酒屋でしてね。祖父の代にウイスキーなどの洋酒も造り始めました。私自身は大学卒業後、サントリーに入社。家業を継ぐ気はありませんでした。ただ、営業などの仕事にやりがいを感じる一方でものづくりがしたい、と思っていました。そこに、父から“手伝ってくれないか”と声が掛かりました。29歳のときです。ところがすでに家業の経営は傾いていましてね。奮闘虚しく、平成12年に民事再生法の適用を申請。他社に譲渡することになりました。その当時は羽生蒸溜所(埼玉県)でウイスキー造りをしていたのですが、ウイスキーは熟成に時間がかかり、造ってすぐに売る、というわけにいきません。営業譲渡先の新しい経営陣は、不採算部門のウイスキーを切り離します。20年間熟成された原酒の樽が400もありましたが、それもすべて破棄するというのです」

──当時は、ウイスキー冬の時代です。

「実際、祖父の代から造っていたウイスキーを飲んでみたんです。“くせが強い”というのが従業員の評でしたが、見方を変えると独特の個性があった。そこで、都内のバーを何軒も訪れ、試飲してもらうと、思いのほか評判が良かった。調査と売り込みを兼ね、2年間でのべ2000軒のバーを回りましたが、ウイスキーの愛飲者が思った以上にいるというのは発見でした」

──消費は落ちていたはずですが。

「ウイスキーの消費は落ち込み、売り上げも低迷していました。ですが、バーでは年齢や性別にかかわらず、丁寧に造られた高価格帯のウイスキーは変わらず人気でした。小さい蒸留所のものであっても、いいものを造ればきっと評価してもらえる。そこにロマンを感じたんです。そこで、原酒を預かってくれる会社を何とか探し出し、原酒をすべて引き取りました。そして、平成16年にベンチャーウイスキーを立ち上げ、父が残してくれたウイスキーのリリースを始めました。原酒を預かってくれた笹の川酒造(福島)や、ウイスキー好きでこちらのことを理解してくれた銀行の支店長、出資してくれた地元のはとこ、たくさんの方のお陰で奇跡的にウイスキー造りを始めることができました」

「『30年物』を造って、初めて何かが見えてくるのかもしれません」

──原酒の保管場所や資本だけでなく、ウイスキー造りには技術が必要です。

「国内だけでなく、海外の蒸留所でもウイスキー造りを学びました。先達たちが受け継いできたものを守っていきたいという強い思いもありました。

日本の芸事に『守破離』という教えがありますが、大事なのは『守』。先達の教えを学び、守ることです。それがあって初めて、そこから発展させ(破)、個性を加えていける(離)。最初から個性を出そうとすると、ただの暴投になってしまいます」

左から、爽やかな樽香の「イチローズモルト 秩父レッドワインカスク2023 シングルモルトジャパニーズウイスキー」。ハイボールに相性がいい「イチローズモルト&グレーン ホワイトラベル」。WWA2009部門賞「イチローズモルトダブルディスティラリーズ」。

──平成17年に、「イチローズモルト」が世に出ますが、なぜこの名に。

「最初は、羽生蒸溜所で造られた原酒を用いたので、『山崎』などにならって、『羽生』にしようと思ったのですが、羽生蒸溜所は存続しないことが決まっていたので、相応しくない。ジョニー・ウォーカーやジャック・ダニエルのように創業者の名を冠したウイスキーもありますので、それも考えましたが、『AKUTO』では悪党になってしまいますからね(笑)。それで下の名前をとって、『イチローズモルト』としました。一時期は“あのイチロー選手と関係あるのか”と聞かれることもありましたが、お陰様でウイスキーファンのあいだに、『イチローズモルト』の名が定着しました」

──平成19年に秩父蒸溜所が完成します。

「もともと生まれ育った場所というのもありますが、盆地にある秩父は、夏は30℃を超え、冬は朝晩、氷点下になります。この寒暖の差が、樽内のウイスキーの熟成を進めてくれます。そして、古くからの日本酒の生産地でもあり、水もいい。ウイスキー造りに適しているだろうと思っていましたが、思った以上に秩父という場所は、ウイスキーにぴったりでした。秩父で蒸留したウイスキーを初めて世に出したのが、平成23年のことなんですが、飲んだ方々から“本当にこれが3年熟成なのか。もっと深い味わいがする”と高くご評価いただきました」

平成19年、生まれ育った埼玉県秩父市に完成させた「秩父蒸溜所」。寒暖差と美味しい水が、ウイスキー造りに適しているという。

──秩父という地がいいウイスキーにした。

「ええ。寒暖差が大きいと、徐々に樽の中の液体が蒸散し、中身が減っていきます。これをスコットランドでは“天使の分け前”と呼んでいます。天使が飲んで減ったのだと。減少を防ぐには、温度も湿度も一定に管理すればいいのですが、これだと熟成が進みません」

──ウイスキー造りに大事なことは。

「ウイスキーは工程のひとつひとつを丁寧に造っていくしかありません。たくさんある工程の中で、どれかひとつが70%の出来だったとすると、そのあとの工程で100%を続けても最大70にしかなりませんから」

──「イチローズモルト」ならではの特徴とはなんでしょう。

「秩父というこの環境で造っているということも大きいのですが、ミズナラの発酵槽もその一つです」

──ミズナラとは。

「ミズナラは、日本に自生するブナ科の植物です。通常、ウイスキーはホワイトオーク樽で造るのですが、『サントリーシングルモルトウイスキー 山崎』に、ミズナラ樽で熟成させたものがあるんです。かつてそれを口に含んだときに、白檀を思わせるかぐわしさを感じ、“これに近づきたい、超えたい”と思いました。そこで、自社の樽工場を作り、ミズナラ樽を製作、使用しています。発酵槽にもミズナラ材を使うのは、うちだけです」

「世界でここだけじゃないか」と肥土さんが誇る、ミズナラ材の発酵槽が8基並ぶ。同社の独特の味わいを作り出している。

──肥土さんは、ブレンダーとしての評価も高いそうですね。

「英国のインターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(令和元年)で、マスター・ブレンダー・オブ・ザ・イヤーを受賞することができました。ウイスキーのブレンドは本当に奥が深くて、分量数%の違いで味がガラッと変わる。だからこそ、面白いんですけどね」

テイスティング用の原酒が詰められた小瓶がずらりと並ぶ。ラベルにはカスク(樽)の番号や木材の種類、度数、蒸留した年度などが細かく記されている。

──「この先」の思いをお聞かせください。

「ウイスキーというものは、でき上がるまでに時間がかかります。少なくとも3年熟成させなければ、商品になりません。実は、ここ秩父蒸溜所で仕込んだウイスキーが、あと15年経つと『30年物』になるんです。ですから今、ちょうど折り返し地点。もしかして『30年物』を造って初めて、これだ、という何かが見えてくるのかもしれません。気の遠くなる話ですけどね(笑)。

近い将来の話でいえば、今、苫小牧(北海道)に新しい蒸留所を作っていて、予定では2025年の夏からグレーンウイスキー(※トウモロコシ、ライ麦などの穀物を主な原料とするウイスキー)の蒸留が始まります。これからも皆さんに、これぞイチローズモルトという美味しいウイスキーを届けていきたいですね」

取材・文/角山祥道 撮影/宮地 工

※この記事は『サライ』本誌2024年3月号より転載しました。

『サライ』2024年3月号の特集は『「ジャパニーズ・ウイスキー」新時代』。

 

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