今や「まぐろ」は、日本人にとっての“ご馳走魚”。さまざまな食べ方が考案され、江戸前鮨では最高のネタとして親しまれている。
でも、日本人がまぐろを本格的に食べ始めたのは、一体いつのことなのだろうか?
古今のまぐろ事情に詳しい東京海洋大学教授の河野博さんによれば、日本人とまぐろの関係は縄文時代にまで遡るのだという。
各地の貝塚から、体長1m以上と推定されるまぐろの骨や、骨角製の大型釣り針や銛が出土されたため、当時から狙って獲っていたことがわかっているというのだ。
とはいえ、多くの人が広くまぐろを口にできるようになるのは、船や漁具、さらには食べ方、流通の発展を待つ必要があった。
万葉集にも、小舟でまぐろを釣る風景が織り込まれたりしているものの、現在のように生で食べる習慣が都市部にまで広がったのは、意外や江戸後期以降なのだそうだ。
江戸で生まぐろを食べるのは難しかった
まぐろは外海を泳ぐ魚である。江戸時代の関東周辺の場合、漁場は相模湾沖や房総沖だった。しかし早船で送っても、日本橋の魚市場に着くまでは数日かかる。
冷蔵技術のない時代であり、そもそも赤身のまぐろは劣化が早い。そのため、江戸城下のような都市部で生のマグロを食べることは難しかったのである。下等な魚として扱われたのもそのためだが、文化年間(1804〜18)ごろから変化が訪れる。
そのころ関東では銚子を中心に醤油が盛んに作られていたため、切り身にしたまぐろを塩気の強い醤油へ漬け、生のまま安全に届ける保存技術が考案されたのである。いうまでもなく、現代に伝わるヅケである。ヅケは江戸っ子の人気を呼び、まぐろ赤身を中心とした新鮮な魚介からなる、いまの鮨の基礎となったわけだ。
かつてトロの値打ちが低かった理由
ところでまぐろといえば、現在最も人気のある部位は脂の乗ったトロだ。だがトロは戦前まで、アラ(価値のない残り部分)として扱われてきた。理由は、醤油に浸けても塩分が浸透せず品質が劣化しやすかったこと、脂が強くて江戸っ子の口に合わなかったことなど。だが、その後に冷凍技術が進歩したため、トロの鮮度は赤身とともに上昇したのである。
しかし、ただ同然の部位だったからこそ、トロは庶民からは人気があったようだ。名残の料理が、葱と一緒に煮た醤油味のねぎまである。
日本人は長らく、脂の多い食べ物が苦手だと考えられてきた。だが先述の河野教授は、昔もいまも若い世代は脂という味覚要素に対して肯定的だという。
たとえば学生たちと回転ずし店に行くと、彼らの一番人気は全身がトロ状の養殖サーモンだそうなのだ。若者は脂が大好きだということだ。
代々の若者の舌が、トロの評価を高めてきた。そんな考え方には不思議な説得力がある。
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『サライ』12月号の「まぐろに幸あり」特集記事には、まぐろの名店のみならずレシピなども豊富に掲載されている。まぐろ好きをを名乗るのなら、ぜひページをめくっていただきたい。
※この記事は『サライ』2016年12月号掲載の「日本人とまぐろ」記事(取材・文/鹿熊勤)の内容を元に、Web用に再構成したものです。(Web版構成/印南敦史)
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