文・写真/マンゲイラ靖子(海外書き人クラブ/ブラジル在住ライター)
ブラジル観光の人気スポットの上位にランキングされるコルコバードのキリスト像(Morro do corcovado)は、言わずと知れたリオ・デ・ジャネイロのシンボルです。リオを訪れたなら、この両手を広げた世界最大級のキリスト像をなんとしてでも写真におさめたいものですよね。
実はこのキリスト像はブラジルで作られたものではないのです。この大きな像をどこの国で作ってどうやって建設したのか気になりませんか?
●構想から完成まで掛かった年月はおよそ80年
まず、さかのぼること1850年にペドロ・マリア・ボス神父という人が、ドン・ペドロ皇帝(ブラジル独立宣言をした皇帝)の娘イザベル王女の支援のもと、この壮大な計画を立てたという事がプレートやパンフレットに書かれています。当初、このキリスト像はカソリック教徒の巡礼地という役割のみならず救世主キリストの聖域として存在する事を目的としていました。
しかし、1889年にブラジル国家が共和制になり教会と国家が公式に分離された事により計画は頓挫してしまうのですが、1920年にリオのカソリックサークルによって計画は再びスタートします。主にブラジルのカソリック教徒からの寄付を集め資金にあてたそうです。
●制作陣はブラジルを象徴するかのようなインターナショナル
キリスト像全体のデザインはフランス在住のポーランド人の彫刻家ポール・ランドウスキによって、彼が生涯をかけて表現した寺院プロジェクトの一環として制作されました。ところが像の顔の部分だけは、ランドウスキに雇われたルーマニア人のゲオルゲ・レオニダが担当し、後に高い評価を得ました。
像の内部は鉄筋コンクリートで構築されており20世紀のフランスの偉大な技術者の一人であるアルベルト・カコーが考案し、そして建築は地元リオのエイトール・ダ・シルバコスタがそれぞれの分野で携わったのです。
キリスト像を支える台座は地元リオでつくられたのですが、銅像そのものはまずフランスのブローニュ・シュル・メールにあるランドウスキの工房で、高さ4mの縮小版がつくられました。その縮小版を船で運び、高さ39.6m、重さ635tもある本物を作成。1931年にブラジル独立100周年を記念して完成しました。
デザイン検討の段階ではキリストが十字架に磔になったものや、手のひらに地球を載せたキリスト像の案もあったそうですが、両手をおおらかに広げた救いの主キリストの案が選ばれ現在の姿となりました。
また、キリスト像の中は150人が収容できる礼拝堂になっているので、いつでも祈りを捧げられるようになっており、結婚式を挙げる人達もいます。
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