文・写真/マンゲイラ靖子(海外書き人クラブ/ブラジル在住ライター)
ブラジルの東北地方、バイーア州の州都サルバドールはブラジルが旧ポルトガル領だったころの首都でした。市街地の中心にはポルトガル建築と石畳の落ち着いた街並みに、アフリカ文化由来の色鮮やかな色彩が溶け込んだ独特の風合いが残っています。
正月過ぎのカルナバル時期は、サンバへギというサンバとレゲエが融合したゆったりとした粘り強い太鼓のリズムに身をまかせ街全体が揺れ動くようなそんな楽しげな雰囲気が漂う場所です。
●マイケル・ジャクソンがPV撮影のために訪れ観光客が倍増
1990年代に『キングオブポップ』マイケル・ジャクソンがプロモーションビデオ”They Don’t Care About Us”の撮影のため訪れた事でサルバドールは一気に観光客が増えたと言われています。マイケルが共演した打楽器集団「オロドゥン」は地域の子供たちの教育や更生のために組織されましたが、今では観光客が大勢押し掛ける一大エンターテイメントにまで成長しています。
ちなみに、最近では岡山県の鷲羽山ハイランドのブラジリアンパークでオロドゥン出身のミュージシャンやバイーアのサンバチームから派遣されたダンサーがショーやワークショップを開催しているとのことで、そこで出会った日本のサンビスタ達がこの地を訪れ本場ならではのパフォーマンスを楽しんでいくそうです。
●実は恐ろしい名前が由来だったサルバドールの中心街
さて、この街にはそんな『陽気な楽しい』部分とはまるで正反対の恐ろしくも悲しい歴史もあります。
サルバドールの中心街に『ぺロウリーニョ』という地区があります。とても可愛らしく聞こえる響きのある名前ですが、現地のポルトガル語では「罪人を晒す柱」を意味します。
その昔、奴隷貿易の最盛期に遠くアフリカから売られて船に乗せられた奴隷達は劣悪な環境で、大半が港に辿り着くまでに命を落としたと言われていますが、さらにここペロウリーニョで主人に逆らったり逃亡を試みたものが見せしめとして処刑されたと言うのです。
●上の街と下の街、そして倒れた十字架のモニュメント
役場のある『シダージ・アウタ』(上の街)と言う地区はサルバドールの美しい海が眼下に広がる立地です。
そこから海を眺めるように作られた広場には、クルーズ・カイーダ(倒れた十字架の像)と言われるモニュメントがあります。16世紀に始まるアフリカからの奴隷制度の犠牲者として連れてこられ、理不尽な非業の死を迎えた者達への追悼碑として建立されました。
アフリカから海を渡る際に、奴隷船に寿司詰め状態で連れられて命を落とした者や、処刑された奴隷達の遺骨が、教会近くの広場の地下から二万体近く掘り起こされたと記されていました。
また反対の『シダージ・バイショ』(下の街)には海岸が広がり、地元の人々が訪れる市場があり活気があふれています。比較的観光客向けの店が多い上の街にくらべると庶民的な下の街、豊かさの象徴と言われる上の街には有料エレベーターに乗らなければならないと地元のガイドが愚痴をこぼしていたのが印象的でした。
●十字架の近くでバイアーナの名物料理が食べられる!?
そんな広場も今ではすっかり観光地となり、陽気なバイアー地方独特のド派手な衣装とターバンで巻いた大きな頭のバイアーナと呼ばれる女性達がアカラジェの屋台を出しています。
『アカラジェ』とは元はアフリカの食べ物で、すり潰した豆を丸めて揚げた生地にエビと刻んだ野菜を挟んだ物です。酸味と辛さが若干キツ目なところに濃厚なエビの旨みが混ざりあう味は食べるものを虜にし、今ではすっかり当地のソウルフードになっています。
その昔、六本木にこのアカラジェと同じ名前のブラジル料理屋があったのを思い出す人もきっと多いはず? 今では閉店しましたが当時は日本では珍しいブラジル料理が食べられるといって大流行りでした。
十字架のモニュメントを眺めながらピリリと辛いアカラジェをほうばり、アフロブラジルの悲劇に思いを馳せるシュールな場所でもあるのです。
●海風が心地よいボンフィン教会は地元のシンボル
バイーア州の中心部サルバドールから北へ8kmほど海沿いを行くと「ボンフィン教会」と言う大聖堂があります。ブラジルで最初に建てられた大聖堂で地元の信仰を一身に集めています。
門前では土産物屋が熱心にリボンを売っています、そのリボンを教会の柵に結びつけると願い事が叶うと言われ、観光客の人気も根強く世界中からリボンを結びに来る人たちが後を絶ちません。
中には余分に買ったリボンをお土産に持って帰る人たちもいます。大切な思いや願掛けに、腕や足に結びつけます。事あるごとにリボンを見つめ、託した願いに心を新たにし、日々を過ごすのは世界共通のようです。
海を見下ろす小高い丘の上で土産物屋の立ち並ぶ中、海風が心地よく吹き抜ける絶好のロケーションに聖堂は建っています。
著名な観光地ですが、華やかな外観の裏には儚く命を散らしていった奴隷たちの、声にならない慟哭を弔い続ける地元の人たちの心のシンボルであり、信仰のよりどころとなる神聖な土地でもあるのです。
文・写真/マンゲイラ靖子(海外書き人クラブ/ブラジル在住ライター)
2012年よりブラジル移住。日系コミュニティで働く傍ら、旅や美容についてのレポートを多数執筆。趣味のサンバではリオ1回、サンパウロ6回、浅草9回の出場経験有。海外書き人クラブ所属。