取材・文/藤田麻希
日常生活から慶事にいたるまで、我々の生活とは切り離すことのできないお酒。その歴史は古く、メソポタミアでは紀元前4000年から3000年頃にはワインやビールが作られていました。
日本でも奈良時代には、米と麹を用いた酒づくりが確立。収穫した米をつかって酒をつくり、それを神に供え、豊穣や無病息災を祈りました。平安時代頃までは、祭礼に用いられたり、特権階級の人が正月や祝いの席に飲む特別なものでしたが、やがて鎌倉時代ぐらいから徐々に普及し、江戸時代には、日常的に武士や町民の口にも入るようになりました。
それにともなって発展したのが、酒を飲むときに用いる「酒器」(しゅき)です。
徳利、お猪口(ちょこ)、杯(さかずき)など我々に馴染みのあるものもありますが、杯洗(はいせん)や提重(さげじゅう)など、現代ではほとんど使われてないもあります。漆器や磁器、陶器、金属器など素材もさまざまです。
そんな“酒器”をテーマにした展覧会《酒器の美に酔う》が、東京・世田谷の静嘉堂文庫美術館で開催されています(~2018年6月17日まで)。その展示作品をいくつかご紹介しましょう。
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酒を注ぐための器として、中世では片口に長い柄のついた銚子(雛人形の三人官女の一人が持っているものと言ったらわかりやすいでしょうか)や、瓶子(へいし、現代でも神棚にお酒をお供えするときに用います)が用いられていました。
徳利(とっくり)が登場したのは、室町時代の後半頃といわれています。ちなみに徳利の語源は、朝鮮語で酒壺を意味する「トックール」という語や、酒を注ぐ時の「とっくとっく」という音からきているなど、諸説あります。
展示されている《色絵桐鳳凰文徳利》(重要文化財)は、江戸時代の柿右衛門様式の徳利です。高さ約32cm、2升近く入りそうにも見える大きなものです。
静嘉堂文庫美術館の山田正樹学芸員は次のように説明します。
「この徳利から直接、杯に注ぐのではなく、おそらく酒樽からこれに注いで、酒席に持っていき、さらに銚子などにうつしかえて使っていたと想像しています。柿右衛門といえば、ヨーロッパに輸出され、彼の地の王侯貴族のもとで愛された高級磁器ですが、この作品は輸出のタイプではありません。輸出用のものとは、形や、わずかに青みを帯びた素地の色、鳳凰の描き方なども違います。国内の富裕層が特注で作らせたものでしょう」
「水注」と聞くと、煎茶道で用いる水つぎを想像しますが、酒を注ぐ用途でも用いられていました。佐賀藩主の鍋島家が藩窯で焼かせた磁器「鍋島焼」の水注《色絵牡丹文水注》は、鍋島焼が最盛期を迎えた17世紀末から18世紀初めに焼かれたものと考えられています。
「佐賀藩の記録に、享保11年(1726)、徳川吉宗から盃や銚子とともに仙盞瓶(せんさんびん、細長い注口が胴の下部からつく水注)2つの注文があり、納めたところ、非常に喜ばれたとあります。最盛期の鍋島焼の仙盞瓶は他に現存する例がなく、また、金彩が施された特別な仕様であることから、この作品が吉宗の注文したものの一つに該当するのではないかと言われています。倹約家の吉宗がこのような立派な作品を特注していたと考えるとびっくりです」(山田さん)
また、提げ手のついた重箱のことを「提重」と言います。花見や紅葉狩りなど野外の宴に持ち出す、いわば「ピクニックセット」のことで、重箱や、取り皿、酒器などがセットされています。
展示されている《山水菊蒔絵提重》の徳利は、鍍金が施された銀製、ほかは木製漆塗りで豪華な蒔絵が施されています。全体の意匠は菊で統一されており、秋の行楽にぴったりです。現代では、プラスチックの保存容器にご馳走を詰め、ビニールシートでお花見をしますが、こんな提重と毛氈を使ったら、さぞ優雅な気分になったことでしょう。
また、酒器ではありませんが、展覧会期間中は国宝の《曜変天目茶碗》も特別出品されています。本年のお披露目は本展のみだそうです。
以上、今回は東京・世田谷の静嘉堂文庫美術館で開催中の『酒器の美に酔う』展についてご紹介しました。日本古来の様々な酒器を愛でに、ぜひお出かけください。
【開催概要】
『酒器の美に酔う』
■会期:2018年4月24日~6月17日
前期:4月24日~5月20日、後期:5月22日~6月17日
■会場:静嘉堂文庫美術館
■住所:東京都世田谷区岡本2-23
■電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
■公式サイト:http://www.seikado.or.jp/
■開館時間:10:00~16:30 *入館は閉館の30分前まで
■休館日:月曜
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』
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