夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。木曜日は「旅行」をテーマに、角田光代さんが執筆します。
文・写真/角田光代(作家)
ミャンマーも、スリランカとほぼ同じく、17年の歳月をあけて旅した。最初は1999年。3週間かけて、ヤンゴンからマンダレー、メイミョー、バゴーとまわり、ヤンゴンに戻ってそこからバンコクに向かった。17年後の2016年、たった5日間の休暇だったので、あちこちの街はまわらずに、ヤンゴンと、ゴールデンロックのみを訪れることにした。
ゴールデンロックとは、山の頂にある不思議な岩のことだ。巨大な岩の上に、今にも落ちそうなかたちでもうひとつ、岩がのっている。金箔のはられた岩の上には仏塔が建てられている。この岩が転げ落ちないのは、仏塔に仏陀の髪がおさめられていて、それがバランスをとっているからだという。熱心な仏教徒の多いミャンマーで、このゴールデンロック、地元ではチャイティーヨー・パヤーと呼ばれる場所は、聖地とされている。
17年前にも私はこの聖地に行っている。バゴーという古都から、親しくなったゲストハウスのおにいさんに途中まで車で連れていってもらって、そこから先、二人で頂上まで上ったのである。そのときの記憶では、山頂までもほぼ無人、山頂の寺院も無人、ゴールデンロックの前で祈る人も二、三人程度だった。ひとけがないからか、山頂へと続く道から見下ろす景色が、この世ではないかのように美しく見えた。
17年ぶりのミャンマーは、変わっているところと変わっていないところがおんなじくらいたくさんあった。ヤンゴンの街は、どんどん新しいビルができている。たぶん、2、3年後に再訪したら、もう知らない街になっているだろう。それでも、街の中心にある黄金の仏塔スーレー・パヤー、広大な土地を持つシェエダゴォン・パヤーに行ってみれば、17年前と今が混じり合ったと錯覚するほど、何も変わっていない。熱心に祈る人々や、寝そべる野良犬、日陰で昼寝をする家族、弁当を広げて食べている家族。金色の仏像たちと、真っ白の寺院。
いちばん変わったのは、活気だった。17年前、アウンサンスーチー女史は軟禁状態にあった。多くの大学は軍事政権に反対してストライキをしていた。たぶん、そんなことが関係して、ヤンゴンの街はどことなく閑散としていたのだと思う。当時は市場周辺にストリートチルドレンや物乞いの子どもたちが大勢いて、ひまな私は彼らとあれこれ話すようになったのだが、5歳、6歳程度の子どもたちでさえ、「だれが聞いているかわからないから、アウンサンスーチーの名前を口にしてはダメだよ」と教えてくれたほどだった。
私が再訪する前年の2015年、アウンサンスーチー率いるNLD(国民民主連盟)が勝利した。私が訪れたときの活気は、ただ軍事政権が終わったせいばかりではなく、これからさらにあたらしい時代がやってくる、という熱気も含まれていたはずだ。市場で、スーチーさんの似顔絵やNLDのロゴが入ったTシャツやトートバッグが山積みされて売られていることに、私は本当にびっくりした。
17年前はバゴーからゴールデンロックを目指したが、今回は、ヤンゴンの街から乗り合いバスで大きなバスターミナルへ行き、そこからキンプン行きのバスに乗りこんだ。ゴールデンロックへのベースキャンプであるキンプンは小さい街ながら、屋台や商店が軒を連ね、一本だけある大通りには食堂も何軒かある。この街もたしかに通り過ぎたはずなのに、一泊しなかったからか、何ひとつ記憶がない。
キンプンから先は、一般の車両の入場が制限され、政府運営の乗り合いトラックだけになる。サファリ見物に行くかのような座席つきトラックの荷台に乗り、そこから約1時間で山頂の寺院に着く。ゴールデンロックは、寺院のもっとも奥のほう。
ここでも驚いたのは、以前はあんなに人のいなかった寺院が、ミャンマーの人でごった返していること。敷地のあちこちには、翌日の朝日を見るためなのか、ずらりとテントがひしめいている。売店も増えて、呼び込みもにぎやかだ。前はシーズンオフで、今は巡礼のシーズンなのだろうか? それともこのにぎやかさも、NLD勝利と関係があるのか? よくわからないまま奥へ奥へと進み、ああ、あった! 傾いた岩。ちゃんと今も金色に輝きながら、傾いている。
この岩の周囲には柵が巡らせてあり、岩に触れるまで近づけるのは男性だけだ。女性は柵のところで祈るのみ。ゴールデンロックにも人が群がっている。印象的だったのは、袈裟姿の若いお坊さんたちが、自撮り棒をのばして、岩を背景に自撮りをしていること。時代は変わった、としみじみ思った。
この旅でもまた、帰ってから、17年前の旅ノートを読み返して、「えっ」と思わず声が出た。17年前の私はキンプンから頂上まで徒歩で上ったと書いてある。そうか、一般車両の入山がキンプンから禁止されているのだから、そこでおにいさんの車を下りて歩いたのか、車で1時間かかる道を……。当時、乗り合いトラックは見た記憶がないから、歩くしかなかったのだろうけれど、シーズンオフでなかったのか、それとも、まだそんなシステムもなかったのか。たしかめようもないけれど、しかし、17年前の私は若かったんだなあ、とへんなところに感動した。
文・写真/角田光代(かくた・みつよ)
昭和42年、神奈川県生まれ。作家。平成2年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。近著に『私はあなたの記憶の中に』(小学館刊)など。