◎No.22:佐藤春夫の絵の具箱
文/矢島裕紀彦
中学在籍中から『明星』や『スバル』に短歌を発表し、文学的早熟ぶりを発揮。ついには門弟三千人と言われる文壇の重鎮的存在となった佐藤春夫。そんな彼が選び得たかもしれないもうひとつの職業は、画家であった。『白雲去来』に春夫はこう綴る。
「自分は子供心に何となく文章を好み、中学校の半ば(十四、五)ごろから、やつとはじめて文才の自覚と自分なりに文学といふものの理解をもちはじめたが、それと同時に画を描くことに興味を感じて、二十ころの希望は文学と美術の二つに分れてゐた」
単なる希望ではない。大正4年(1915)から、3年連続で二科展入選の腕前。文学を生業(なりわい)と定めてのちも、絵筆はいつも傍らにあった。
和歌山県新宮市の佐藤春夫記念館に、春夫が愛用した絵の具箱がある。材は桐。把手は革製で、鍵がかかるしっかりしたつくり。そして何より愛着ぶりを示すのは、蓋裏に自ら描いた赤い椿の花。一見、無造作なタッチの中に、抒情的、耽美的な雰囲気を醸すのは、代表作『田園の憂鬱』や『殉情詩集』にも通じる春夫の真骨頂なのだろう。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。
写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。
※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。