文/矢島裕紀彦
内田百閒の随筆『特別阿房列車』に、こんな話がある。
用もないのに汽車に乗って大阪へ行きたくなった百間が、旅費を借りたり、当日、東京駅で苦労したりしてようやく切符を買い求める。そのあと駅構内の食堂に入り、昼間からウイスキーを飲み、「ほつと安心したところなので、かう云ふ時の一盞(いっさん)はうまい」と綴るのである。
「盞」は小さな盃を意味する。映画の西部劇さながらに、ショットグラスでストレートのウイスキーをやる百閒の姿が思い浮かぶ。
だが、百閒の酒歴をたどると、大学時代はビール、卒業後は日本酒、晩年はシャンパンが目立ち、ウイスキーは必ずしも主役の位置にいない。「強い酒」として、やや敬して遠ざけていたふうにも思える。
そこには、「飲んでゐて次第に酔つて来る移り変はりが一番大切な味はひ」(『御馳走帖』)という作家の酔い方の哲学が関係していたのかもしれない。ストレートのウイスキーを、ビールや日本酒を飲むような調子でぐいぐいやると、微妙な酔い加減を一気に飛び越えてしまうところがあったと推察できる。
百閒に、うまいハイボールを飲ませてやりたかったと思うのは筆者だけだろうか。炭酸が入って仄かな甘みを有するという点で、ハイボールは百閒が好んだシャンパンに通ずるところがある。
ハイボールという飲み方に親しんでいたなら、百閒はもっとウイスキーを存分に楽しめたのではないかと想像するのである。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。著書に『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。現在「漱石と明治人のことば」を当サイトにて連載中。
※本記事は「まいにちサライ」2013年7月13日配信分を転載したものです。
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