人生の最期に向け財産整理やモノの処分をすすめる“終活”のブームは続いている。俳優・泉ピン子さん(77歳)は、「終活をやってみたんだけど、死に急いでいるみたいで嫌じゃない」と語る。その顛末は新刊『終活やーめた。 元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法』(講談社)に詳しい。1回目(https://serai.jp/hobby/1230292)では、52歳のときに降りかかった人生最大のピンチである億単位の借金について、2回目(https://serai.jp/hobby/1230304)では俳優としてのキャリアについてお話しいただいた。ここでは、ピン子さんの結婚ほか、プライベートについて伺う。(全3回/3回目)

41歳で医師と結婚「夫が玉の輿に乗った」
俳優としてキャリアを積んできたピン子さんは、1989年に医師と結婚する。当時、医師は高収入で知られ、結婚相手として人気だった。「玉の輿に乗った」という報道もあったが、実際、収入は圧倒的にピン子さんのほうが上だった。
「夫が玉の輿に乗ったんですよ(笑)。出会いは病院で、検査入院したら夫がいた。当時、40歳を超えていたし、公私共に充実していたので、“このままでいいか”と思っていたら、とんとん拍子に結婚することになったんです。
今でもなんで結婚したのかと思うことはあります。だって、当時、仕事こそ忙しいものの、お金は稼いでいるし、好きな時間に起き、好きなものを食べ、旅行も買い物も気ままにできる。結婚すれば、夫の世話を焼かねばならない。そんな生活はできないと思っていたのにね。
それに、夫の見た目も特にタイプじゃないんですよ。それなのに縁って不思議なもの。結婚してから、もう35年以上も一緒にいるんだから。惚れた腫れたの大恋愛は続かないのかもね。

結婚すると決まったら、「ママ」と呼ぶほど親しい脚本家・橋田壽賀子さん(1925-2021年)が大反対。「ピン子が幸せになるなんて、想像がつかない」と言った。
「ひどいでしょ(笑)。夫と熱海のママの家に何度も行き、ずっと反対されていたんだけれど、ママのご主人が、熱海から夫の勤務先の病院まで行って本人を見た。そこで、“いい奴だった”と太鼓判を押してくれたから、結婚したんです。
西田(俳優・西田敏行さん〈1947-2024年〉/ピン子さんの盟友)に相談したら、“検査で尻の穴まで見られているんだろう? いいじゃないか”って。
結婚してから、夫の隠し子騒動(1995年)もあり、私は猛烈なバッシングを受けた。さらに相手の方への補償もあり、本当に大変でした。あのときも“あたしゃ、泉ピン子だ! やってやれないことはない!”と乗り切ったんです。それに、私から三行半を突きつけて、相手の女性のところに行かれるのも悔しいじゃない。
なんでもそうですが、すべきことをやって、時間が経てば、過去の話になる。“天知る、地知る、我知る、人知る”ですよ。誰も知らないと思っていても、天も地も、そして自分自身や相手も真実を知っているってこと。これは、常に嵐のようなバッシングを受け続けた私が到達した心境です」
歯に衣着せぬ発言と、強烈な個性の持ち主であるピン子さんは、いつもバッシングにさらされてきた。「共演者いじめ」としてバッシングを受けたときは、心の変化が体に出るという体験もする。
「週刊誌の記者に、“松田聖子と泉ピン子、宮沢りえを出せば、本が売れる”と言われたこともあったわね。
まあ、皆が知っていて人気がある証でもあり、事実無根だと笑い飛ばしていたのですが、応えたのは60代で巻き起こった、共演者いじめのバッシング。あのとき、意識していないのに首を細かく振るようになっちゃったの。
オンエアを見ても、確かに振っている。“首、振ってるぞ”と夫からもママからも言われ、病院に行ったら、ストレスが原因と言われる“本態性振戦”と診断された。振りがおさまるまで1年以上かかりました」
【やりたいことは全てやった、たった一つの後悔は、恋焦がれた高倉健さんのこと……次のページに続きます】
