今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「夜は次第に明けて行った。彼はいつか或町の角の広い市場を見渡していた。市場に群った人々や車はいずれも薔薇色に染まり出した」
--芥川龍之介
『或る阿呆の一生』より。人間には時として、運命的な出会いというものがある。それによって、周囲の世界が一変するような。芥川龍之介にとって、師・夏目漱石との出会いはまさにそれであった。
当時の芥川は東京帝国大学に在籍する一介の文学青年。友人らと発行した同人文芸誌、第4次『新思潮』に小説『鼻』を寄稿したものの、こうした独得の色合いの作品が「小説として通るかどうか」ということにさえ疑念を抱いていた。
これより前、芥川は別の同人誌に小説『羅生門』も発表していた。本人としてはかなりの自信作だったが、文壇に無視されたのみならず周囲からもけなされ、すっかり自信を失いかけていたのである。
そんなとき、彼らが送った雑誌を読んだ漱石が、『鼻』に目をとめて絶賛。ここから芥川の目の前が開け、とりまくものすべてが輝きはじめるのである。
チャンスはどこにでもある。見ていてくれる人はいる。明けない夜はない。そう信じて、諦めずにチャレンジを続けていくことが大切なのだ。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。