曾禰好忠(そねのよしただ)は平安時代中期の歌人です。彼の出自や経歴は詳しくわかっていませんが、丹後掾(たんごのじょう)という地方官を務めたとされています。
好忠は、才能に自信を持ちながらも、なかなか官位に恵まれなかった不遇の人物として知られています。その一方で、型破りで大胆な和歌を詠む革新的な歌人でしたが、生前にはあまり評価されることはありませんでした。当時はまだ珍しかった「地名」や「名所」を積極的に歌に詠み込み、生き生きとした情景を描写するその作風は後世の歌人たちに大きな影響を与えました。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
目次
曾禰好忠の百人一首「由良のとを~」の全文と現代語訳
曾禰好忠が詠んだ有名な和歌は?
曾禰好忠、ゆかりの地
最後に
曾禰好忠の百人一首「由良のとを~」の全文と現代語訳
由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな
【現代語訳】
由良(ゆら)の瀬戸を漕ぎ渡っていく舟人(ふなびと)が、かじがなくなって、行く先もわからずに漂うように、これからの行く末のわからない恋のなりゆきだなあ。
『小倉百人一首』46番、『新古今和歌集』1071番に収められています。「由良のと」とは、現在の京都府宮津市にある由良川の河口です。この「と」は「水門」のことで、瀬戸や海峡を意味します。潮の流れが速く、航海の難所として知られていました。
「かぢ」は船を操る「舵」のこと。それが「絶え」、つまり舵が壊れたり、失ったりした状態を意味します。「行くへも知らぬ 恋の道かな」と舵を失った舟がどこへ行くか分からないように、自分の恋の行方も全く分からない、という絶望的で不安な気持ちを表しています。
この歌の魅力は「恋の不安」という目に見えない感情を、「舵を失った舟」という具体的な情景に重ね合わせた巧みな比喩にあります。自分の力ではどうすることもできない恋の苦しさ、先の見えない不安な気持ちが、読者の心にダイレクトに伝わってきます。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
曾禰好忠が詠んだ有名な和歌は?
曾禰好忠は、他にも多くの歌を残しています。その中から二首、ご紹介します。

み苑生(そのう)の なづなの茎も たちにけり けさの朝菜に なにをつままし
【現代語訳】
お庭のなずなの茎も伸びてしまった。今朝の朝ごはんのおかずに何を摘んだらよいのだろう。
「み苑生」とは主君の庭をさす「お庭」または、「庭」の美称。なかなか勅撰集には見ない表現です。なずなは春の七草として知られていますね。若芽は食用になりますが、この歌では茎が伸びすぎて食べる時期を過ぎてしまった、と言っています。好忠がそれほど身分が高くなかったことが伺い知れます。
曇りなき 青海(あおみ)の原を とぶ鳥の かげさへしるく てれる夏かな
【現代語訳】
一点の曇りもない真っ青な海原を鳥が飛んでゆく。そのちっぽけな姿さえくっきりと照らし出て、太陽がかがやく夏よ。
一読すると、現代風の歌にも見えます。海の青と鳥の白の鮮やかな対比、広大な海原を横切る、小さな鳥の影という大小の対比。好忠は夏の季節感に執着したと言われていますが、この歌は特に夏の風景を見事に詠み込んでいます。
曾禰好忠、ゆかりの地
曾禰好忠ゆかりの地をご紹介します。
船岡山
京都にある船岡山。円融院が上皇となったときに船岡山で歌会が催されました。そこに、「歌詠みを召す、ということなら俺が行かなくてなんとする」と招かれてもいないのに好忠が乗り込んでいきました。不審者扱いの好忠。役人たちに引きずりだされ、さんざん蹴られ泥だらけで逃げだす始末。
丘の上で振り返り、「俺は何ひとつ恥じることはない。歌詠みを召すというのに俺がこなくてどうする。呼ばれたやつらよりずっと良い歌を詠んでやる。」と負け惜しみを言ったというエピソードが『今昔物語集』に記されています。
このような奇行が「変人」と呼ばれ、生前には評価されなかったゆえんかもしれません。
最後に
曾禰好忠の「由良のとを~」の歌は、恋に悩む個人の歌でありながら、人生という大海原で、時に自分の力ではどうにもならない状況に置かれたときの、普遍的な不安や心細さをも描き出しているように感じられます。歴史的背景や歌人本人の革新的な歌風を知れば、単なる暗唱や遊び以上に百人一首の世界が深まるのではないでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp
