一条天皇(演・塩野瑛久)の言質を取ったことを道長(演・柄本佑)に報告した行成(演・渡辺大知)。(C)NHK
藤式部(まひろ/演・吉高由里子)による『源氏物語』の講読会。(C)NHK

ライターI(以下I):今週の第40回では「源氏の物語」(『源氏物語』)の講読会からスタートしました。一条天皇(演・塩野瑛久)、中宮彰子(演・見上愛)、藤式部(まひろ/演・吉高由里子)らに加えて、藤壺の女房らも参加していました。

編集者A(以下A):今回は、左大臣藤原道長(演・柄本佑)の姿もありました。

I:一見、雅な王朝絵巻なのですが、その裏で皇位をめぐる裏工作が進行していました。一条天皇が即位したのは数え年で7歳の時。道長の父兼家(演・段田安則)と兄の道兼(演・玉置玲央)の策謀で、花山天皇(演・本郷奏多)を退位に追い込んだ末のことです。あれから25年、一条天皇は32歳になり、皇后定子所生の敦康親王(演・片岡千之助)、中宮彰子所生の敦成(あつひら)親王、敦良親王の3人の皇子に恵まれました。

A:在位すでに25年とはいえ、まだ壮年の一条天皇が譲位せねばならぬ理由はただひとつ。中宮彰子が生んだ自らの孫敦成親王を次期東宮(皇太子)にしたい藤原道長の強い意向があったからです。一条天皇の東宮は、従兄弟の居貞親王(演・木村達成)ですが、実は居貞親王の方が年長でした。一条天皇の譲位で、居貞親王が即位すれば、新たな東宮は順当であれば、敦康親王になる流れでした。

I:この時まで、立后した=国家が認定した后が生んだ第一皇子が即位できなかった例はないんですよね。当時の貴族社会は前例踏襲を規範とするのが常ですから、皇后定子所生の敦康親王が東宮になるということを疑う人はあまりいなかったのではないでしょうか。宮の宣旨(演・小林きな子)も「次期東宮は敦康親王であろう」とまひろに言っていましたし。

A:それを曲げてまで敦成親王を東宮にしようと考えていたのが藤原道長ということになります。ここで一条天皇と道長の間に対立軸が生じました。さらに中宮彰子も「敦康親王を次期東宮に」と望んでいましたから、同様です。一条天皇に入内した時に12歳だった彰子は、幼い敦康親王とは実の姉弟のような関係性の中で時を刻んできたわけですから当たり前といえば当たり前ですよね。

I:中宮彰子にとっては、自分の手元で育てたという思いもあり、実の息子である敦成親王同様に愛おしい存在なわけですから、当時の「常識」に照らして、敦康親王が次期東宮になることが当然だと思っていたと思われます。整理しますと、この段階で一条天皇32歳。一条天皇東宮の居貞親王35歳、中宮彰子24歳。居貞親王に入侍した道長次女の妍子18歳。一条天皇第一皇子敦康親王13歳、居貞親王第一皇子敦明親王18歳、藤原道長46歳という関係になります。

A:一条天皇は第66代。皇統の流れは、村上天皇の皇子から冷泉天皇(63代)と円融天皇(64代)の兄弟が皇位を継承します。冷泉天皇の皇子が花山天皇(65代)と居貞親王、円融天皇の皇子が一条天皇(66代)になります。つまり、冷泉系と円融系が交互に皇統を継承するという迭立(てつりつ)状態にありました。それで、円融系の一条天皇が譲位して冷泉系の居貞親王が即位する。ですから、当然、東宮は敦康親王という流れでした。

不遇の敦康親王(演・片岡千之助)。(C)NHK

大江匡衡は赤染衛門の夫。次ページに続きます

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