すべては、「藤原行成劇場」だった!
A:さて、今週の第40回は、藤原行成の日記『権記』寛弘8年5月27日条をベースに展開されています。「一条天皇から次期東宮問題について下問されたこと」「それに対して、文徳天皇の後継問題の時に、正嫡よりも重臣の藤原良房が外戚となる第四皇子の惟仁親王が選ばれた故事を引用して、次期東宮には敦成親王を勧めたこと」「敦康親王に年爵を賜ることを進言したこと」「大江匡衡の易で一条天皇に崩御の卦が出たこと」「そのことを聞いた道長が泣いていたのを一条天皇が知ってしまったこと」さらには、「中宮彰子が道長のことを非難したこと」など克明に記録されている日です。藤原行成一世一代のよっぽど力が入った日だったのでしょう。
I:藤原行成が、一条天皇から「敦成を東宮に」という了解を得たことを道長のもとに知らせにいくときに「小走り」する様子が描かれました。
A:「やったー」という行成の心中が巧みに表現された素晴らしい演出となりました。あの「小走り」する行成を頭に入れながら、『権記』寛弘8年5月27日条を読むと、行成が小走りする心境を共有した気分になってしまいます。講談社学術文庫で現代語訳が出ていますので、興味のある方はぜひ! 寛弘8年は下巻に収録されています。
I:藤原行成、侮れないですね。
A:中宮定子(演・高畑充希)がいるにもかかわらず、彰子を立后し、「皇后定子・中宮彰子」という「一帝二后」という「禁じ手」を実現する際の理論を考えたのも行成でした。それだけ、道長に心酔していたということでしょう。なお、行成の『権記』は、国際日本文化研究センターの「摂関期古記録データベース」でも閲覧できますので、興味のある方はぜひ検索してほしいですね。こちらを検索して、訳文を講談社学術文庫で確認するとより理解が深まると思います。
I:劇中でも登場した道長の娘である中宮彰子が激しく反発する場面は、『栄花物語』にも描かれるなど史実だったと思われます。中宮彰子にすれば道理から逸脱して敦成親王立太子に向けて動いている父のことが我慢ならなかったのでしょう。敦康も敦成も自分が育てた皇子という考えをはっきりと口にする。以前の中宮彰子には考えられない立派な態度に感銘を受けました。
I:藤原行成は、こうした功績かどうか、その後も立身し、行成の世尊寺家は、「書の家」として戦国時代まで長きにわたって家が存続します。
A:道長が、行成の家系が立ち行くように手配したとも言われています。道長に尽くした男の運命……。最後の最後まで注目ですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり