はじめに-藤原行成とはどんな人物だったのか?
藤原行成(ふじわらのゆきなり)とは、平安時代中期の公卿です。幼くして父や祖父を亡くし、後ろ盾を失ってしまった行成。不遇の青年期を過ごしながらも、中国史や漢学などの勉強に励みました。そして、その学才を認められ、24歳という若さで蔵人頭(朝廷における令外官の役職)に抜擢されることとなるのです。
地道な努力を重ね続けた行成は、藤原道長や一条天皇たちからも重用されるようになります。また、優れた能書家として、三蹟の一人にも数えられている行成。
才能に胡坐をかくことなく、常に向上心を持ち続けた努力家というイメージがありますが、実際の藤原行成はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、若くして蔵人頭に抜擢され、細やかな気遣いで道長政権を支えた人物(演:渡辺大知)として描かれます。
目次
はじめに―藤原行成とはどんな人物だったのか?
藤原行成が生きた時代
藤原行成の足跡と主な出来事
まとめ
藤原行成が生きた時代
藤原行成は、天禄3年(972)に生まれます。行成が生まれた年に、藤原北家出身の公卿・藤原兼家(かねいえ)が大納言に任命され、権勢を振るうこととなりました。兼家は、嫡男・道隆(みちたか)を自身の跡継ぎにするべく、彼の昇進を支え続けたとされます。
関白となり、政界の頂点に君臨した道隆でしたが、まもなく病死してしまいます。激しい後継者争いの末に、末弟の道長が勝利し、時代は道長に移ることに。行成は、華々しい道長の時代に活躍することとなったのです。
藤原行成の足跡と主な出来事
藤原行成は、天禄3年(972)に生まれ、万寿4年(1028)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
【不遇な幼少期を過ごすも、大出世を果たす。次ページに続きます】