偉人たちが愛したご飯のおともを一室に。現在も購入できる品は『新橋玉木屋の座禅豆』972円、『うまもんの漬物』600円〜、『ぎぼしの塩昆布』1080円など。昭和の文豪のなかには、ちゃぶ台の上の『錦松梅』やテレビCMで知られた『ごはんですよ』でご飯を食べた人がいたかもしれない。

古今東西、日本人とご飯は切り離せない間柄。「ご飯のおとも」も然り。いつから「おとも」と呼ばれるようになったか明らかではないが、おともは“お供”であり“お友”と捉えれば、ご飯とおともは互いになくてはならぬ関係を表す言葉と感心する。

現在、「ご飯のおとも」や「めしのせ」は、嗜好品の面が強いが、元来はご飯をより多く摂るための副菜(おかず)だ。稲作が伝来したのは約6000年前の縄文時代。その後、弥生時代に急速に広まり、米飯と副菜の組み合わせが確立した。飛鳥・奈良時代になると米飯、汁物、漬物という一汁一菜が一般的に。平安時代には、貴族は毎食、複数のおかずが揃えられるようになったという。

となれば、歴史上の人物や文豪はどのような「めしのせ」を好んだのか気になる。そこで、ご飯のおとも専門家として、全国のさまざまな品に詳しい長船クニヒコさんに、偉人の「めしのせ」の逸話を聞いた。まずは、ご飯のおともの代表格、梅干しから。

「梅干しの原型といえる『梅の塩漬け』が書物に登場するのは平安中期のこと。ですが、梅干しとして広まったのは、鎌倉幕府を創立した源頼朝の正室として知られる北条政子(1157〜1225)の功績のおかげです。

政子は、『梅干しおむすび』を兵たちに与え、承久の乱(1221)で勝利を得たとか。梅干しの抗菌作用が食中毒や傷の消毒に役立ち、以降、梅の栽培が広まったそうです」

時代を経て織田信長(1534〜82)は、焼き味噌をのせた冷や飯に湯をかけた『焼き味噌湯漬け』を好んだ。「尾張の豆味噌を直火で炙り、すり下ろした生姜や胡麻を混ぜ、立ち食いしていたそうです。テレビドラマなどでも、信長が立ったまま湯漬けを掻っ込むシーンが描かれることがありますね。戦国時代は携帯しやすく、刃物で削れば食べられる手軽さから、『鰹節』が兵糧として重宝しました」と長船さん。

徳川家3代に仕えた大久保彦左衛門(1560〜1639)も、大久保家の来歴と徳川家への忠勤に励めと説く『三河物語』に、「齧(かじ)れば力になる」と記している。鰹節は“勝男武士”と書くこともできるため、縁起担ぎにも一役買ったのだろう。当然、ご飯に削った鰹節をのせたとも想像できる。

戦国の世を勝ち取った徳川家康(1542〜1616)は、健康と食に気を使い、長生きした。多くの好物の逸話があるが、麦飯に、自然薯をすり下ろした『とろろ飯』は、現在も静岡の名物である。

近代から現代の作家の好物

「近代以降の作家は、食への探究心や執着が深く、エピソードが多々あります」と長船さん。芸妓(げいぎ)や女給など女性の境遇の表現が逸品の永井荷風(1879〜1959)は、気に入った店ばかりに出かけたが、日記『断腸亭日乗』に、ひとり暮らしならではのつつましき贅沢を楽しみ、『新橋玉木屋の座禅豆』を好んだと記している。

美食の先駆者、北大路魯山人(1883〜1959)は随筆『日常美食の秘訣』で、「飯は最後のとどめを刺すもの」と、いかに米と炊き方が大切かを説く。とくにお茶漬けを愛し、納豆茶漬け、天ぷら茶漬け、鱧(はも)の茶漬けのほか、「天下一品の贅沢。茶漬けの王者」と評したのが『ゴリの茶漬け』だ。

ゴリはハゼなど小さな川魚のことで、魯山人は京都の桂川で獲れたゴリを生醬油で佃煮にし、熱々のご飯にのせて茶をかけた。

「当時、高価なゴリは料亭で赤だし椀にしていました。それをあえて佃煮にして茶漬けにするのが魯山人らしく、通好みの食べ方です」と、庶民的なお茶漬けとは異なる手法に長船さんが感心する。

日頃から「手作りがごちそう」と宣言し、数多の男性の胃袋をつかんだ、作家の宇野千代(1897〜1996)は、自炊の食道楽を楽しみ、到来物(いただき物)を気に入ると、そればかり……。鱸(すずき)の塩焼き、松葉蟹、ラーメンなどを取り寄せた。レシピ本も著し、食への好奇心が旺盛だが、郷里、山口県岩国の漬物店『うまもんの漬物』を欠かさなかった。

宇野千代と交流があった坂口安吾(1906〜55)は酒をこよなく愛した無頼派作家だ。深酒による胃弱ゆえか、固形の料理が苦手で、普段からおじやばかりだったという。随筆『わが工夫せるオジヤ』によると、鶏の骨と肉、じゃがいも、にんじん、豆などを3日以上煮込み、そこにご飯と刻んだキャベツとベーコンを入れ、溶きたまごを加えた。

「素材の旨みたっぷりのおじやです。ここに、京都の『ぎぼしの塩昆布』を少しずつのせて食べたそう。朝晩ともに食べるのはこれだけというから、よほどの好物だったのでしょう」(長船さん)

『ぎぼし』は、京都の錦市場近くにある昆布の専門店で明治元年に創業し今も健在だ。

坂口安吾の盟友である太宰治(1909〜48)は、自他ともに認める大食漢で、故郷、青森の味をこよなく愛した。太宰の妻、津島美知子の『回想の太宰』には、若生昆布(1年ものの若い昆布)で包んだおむすび、ミズ(ウワバミソウ)とホヤの水煮など、青森の郷土料理を好んだという記載がある。なかでも納豆に筋子を混ぜた『筋子納豆』を白飯や豆腐にのせていた。

「昨年、『筋子納豆』を巻き寿司にしたものが、青森・五所川原のご当地グルメ〝太宰の恵方巻〟として誕生。もはやのせるのではなく巻物ですが、郷土料理が生まれ変わるのは喜ばしいですね」

英文学者で作家の吉田健一(1912〜77)は、贅沢な酒肴を追求したが、「飯は一菜だけで楽しんで食べられる」とし、味噌を仕込む時に白うりなどを漬け熟成させた、なめみそ『金山寺味噌』を絶賛。が、そこに、佃煮や紫蘇の実、胡麻塩、茄子の辛子漬け、白子干しなどがあれば「法悦の境になる」と『舌鼓ところどころ私の食物史』に記している。

こうした偉人たちの「めしのせ」を味わい、その功績に思いをはせ、作品に親しむのも、また一興だ。

案内 長船クニヒコさん(ご飯のおとも専門家)

昭和59年、大阪府生まれ。全国の「めしのせ」の魅力を伝えるウェブメディア「おかわりJAPAN」を主宰。初の著書に『山口恵以子のめしのせ食堂 こころとお腹を満たす物語と「ご飯のおとも」』(小学館)。

イラスト/すずきたけし 取材・文/山崎真由子
※この記事は『サライ』本誌2024年3月号より転載しました。

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山口恵以子のめしのせ食堂
こころとお腹を満たす物語と「ご飯のおとも」
著/山口恵以子 著/長船クニヒコ
小学館 1650円(税込)

東京の片隅で夜だけ営業する「めしのせ食堂」を舞台にした、山口恵以子さんの新作小説。身近に起こりうる10編の物語と、そこに登場する「ご飯のおとも」の商品情報を、写真とともに紹介した“小説とお取り寄せ情報”の二本立て。商品のセレクトはご飯のおとも専門家として活躍する長船クニヒコさんによる。読んで満足、取り寄せて満腹になる、おいしい一冊をぜひお手元に。

 

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