はじめに-春日局とはどんな人物だったのか?
春日局(かすがのつぼね)は、徳川3代将軍・家光の乳母であり、「大奥」の統率者として君臨。不運ともいえる前半生を経て、彼女はいかにして権力の座へ上り詰めたのでしょうか。史実をもとにその経緯を辿ってみましょう。
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、竹千代(家光)に祖父・家康の偉業を神のごとくと教え、家光の治世に大きな影響を与える人物、福(春日局/演・寺島しのぶ)として描かれます。
目次
はじめに−春日局とはどんな人物だったのか?
春日局が生きた時代
春日局の足跡と主な出来事
最後に
春日局が生きた時代
春日局は、本能寺の変、山崎の合戦により秀吉が天下を握り、関ヶ原の戦いによって家康が天下を統一するという、時代の大きな転換期に少女から大人へと成長しました。この間、不遇な暮らしを余儀なくされていましたが、徳川家に、のちの3代将軍・家光が誕生すると権力側の人間へ。家光を支えながら、「大奥」の制度を確立していきました。
春日局の足跡と主な出来事
春日局は天正7年(1579)に生まれ、寛永20年(1643)に没しています。その生涯を主な出来事とともに紐解いてみましょう。
福、流転の生活の始まり
春日局は、本名を福(ふく)といい、春日局を名乗るのは、寛永6年(1629)、50歳のときです。
福は天正7年(1579)、美濃斉藤氏の一族で明智光秀の家臣・斉藤利三(さいとう・としみつ)の娘として生まれます。母は稲葉通明の娘(もしくは姪)で、福は名門の姫でした。
しかし、父が本能寺の変で、主君の明智光秀とともに織田信長を襲撃。山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れ、京の六条河原で処刑されてしまいます。追っ手から逃れて、一家は離散しました。
福は母方の実家である稲葉家に引き取られたあと、三条西家で養育されました。このとき書道、華道、香道、行儀作法など公家の素養を身に付けます。
その後、伯父・稲葉重通(しげみち)の養女となり、その縁者である稲葉正成(まさなり)の後妻に。正成は小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)の家臣でした。父は本能寺で、夫は関ヶ原の戦いで、共に、「裏切り者」といわれた主君に仕えたというのも不思議な因縁です。
関ヶ原の戦い後、わずか2年で秀秋が没すると、跡継ぎのいなかった小早川家は改易。家臣たちは浪人となり、福と正成は美濃で半農生活を送ることとなりました。
【竹千代の乳母として、江戸へ。次ページに続きます】