はじめに-瀧山とはどんな人物だったのか?
瀧山は、江戸城の大奥最後の御年寄です。御年寄とは、大奥女中に与えられた役職の一つで、将軍や御台所(みだいどころ、将軍の正室)への謁見が許されていました。16歳(14歳という説もあり)という若さで大奥に上がった瀧山。忠勤に励み、才知に優れていたことから、異例の出世を遂げることとなります。
後に討幕軍が江戸城に侵入し、城を明け渡す際にも、大奥の代表・天璋院(てんしょういん、篤姫とも)とともに、最後まで職務を全うしました。頭脳明晰で、責任感が強い女性というイメージがありますが、実際の瀧山はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』では、阿部正弘に見出され、将軍・家定に仕えるべく大奥入りした、容姿端麗な大奥総取締(演:古川雄大)として描かれます。
目次
はじめに―瀧山とはどんな人物だったのか?
瀧山が生きた時代
瀧山の足跡と主な出来事
まとめ
瀧山が生きた時代
瀧山は、文化3年(1806)に生まれました。瀧山が生まれた文化・文政年間は、「化政文化」の最盛期にあたります。11代将軍・家斉(いえなり)が幕政を顧みず、贅沢三昧な生活を続けたことで財政は悪化しますが、その一方で、華やかな町人文化が花開きました。それが、化政文化です。
『東海道中膝栗毛』で知られる十返舎一九(じっぺんしゃ・いっく)や、『富嶽三十六景』の作者・葛飾北斎が活躍したのもこの時代で、江戸時代最大の町人文化と言えるでしょう。しかし、幕府はいよいよ終焉へと向かい、激動の幕末が始まることになるのです。
瀧山の足跡と主な出来事
瀧山は、文化3年(1806)に生まれ、明治9年(1876)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
16歳で大奥に上がる、異例の出世を果たす
瀧山は、文化3年(1806)、鉄砲百人組与力・大岡権左衛門の長女として生まれました。名前に関しては、「滝山」「多喜」と表記されることもあります。瀧山の幼少期がどのようなものであったかについては、史料が乏しいため、詳しくは分かっていません。
その後、16歳になった瀧山は、江戸城の大奥に入ります。非常に聡明で、機転が利いたと伝えられています。勤め先の大奥にて熱心に働き、その仕事ぶりと才能を評価されました。そして、13代将軍・家定(いえさだ)に、御年寄として仕えることとなったのです。
それほど身分の高くない女性が、将軍付きの御年寄になることは稀でした。瀧山の高い能力が、周囲からの注目を集めていたことが分かります。
【御年寄として、大奥を支える。次ページに続きます】