はじめに-吉良義昭とはどんな人物だったのか

吉良義昭(きら・よしあきら)は、将軍の血を引く名家に生まれた戦国時代の武将です。しかし、戦国の動乱期が訪れると、吉良氏は大いに翻弄されることとなり、義昭もまた例外ではありませんでした。

2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、東条吉良氏と西条吉良氏に分かれた吉良家のまとめ役として奮闘する人物(演:矢島健一)として描かれます。

一族を守るために奮闘した人物というイメージを持つことができますが、実際の吉良義昭はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

目次
はじめに-吉良義昭とはどんな人物だったのか
吉良義昭の生きた時代
吉良義昭の足跡と主な出来事
まとめ

吉良義昭が生きた時代

吉良義昭の生没年は不明です。鎌倉幕府の御家人を務めた人物で、室町幕府の初代将軍・足利尊氏(たかうじ)の先祖にあたる足利義氏(よしうじ)の子を祖として始まった吉良氏の一人として、波乱の戦国時代を生きることとなります。

義昭の出身である三河吉良氏は、南北朝時代に東条吉良氏と西条吉良氏の二つに分裂することに。義昭は永禄3年(1560)の「桶狭間の戦い」など、様々な危機に直面しながら、波乱万丈な人生を送ることとなります。

吉良義昭の足跡と主な出来事

吉良義昭は、戦国時代に生きた武将です。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

吉良義堯の子として生まれる

義昭は、西条吉良氏の当主・吉良義堯(よしたか)の三男として生まれました。吉良氏の祖である足利義氏の子が、地頭職(荘園などの領土を管理する職)を務めた三河国(現在の愛知県)吉良荘を名字としたことで始まったとされる吉良氏は、足利将軍家の血を引く名家として栄えることとなります。

しかし、室町幕府の跡継ぎ争いである応仁元年(1467)の「応仁の乱」や、明応2年(1493)の「明応の政変」など、将軍家の後継者問題に大いに関わることとなった吉良氏は、この頃から雲行きが怪しくなっていくことに……。

応仁の乱
応仁の乱『真如堂縁起絵巻』

二度に渡る幕府の跡継ぎ争いは、やがて国中を巻き込む大騒動となり、幕府の本拠地である京の都は荒廃してしまい、このことがきっかけで将軍家の権威は失墜します。そして、吉良氏もまた例外ではありませんでした。

浜松荘を奪われた吉良氏

足利一門として権力を強めていた吉良氏は、本領である吉良荘のほかに、重要な経済基盤である浜松荘を支配下に置いていました。当時、浜松荘がある遠江国(現在の静岡県)の守護職は、管領(将軍の補佐役)である斯波(しば)氏が務めていましたが、吉良氏は権力を行使して分家の今川氏から浜松荘を奪ってしまうのです。

これに腹を立てた今川氏は、文亀元年(1501)から永正14年(1517)にかけて、吉良氏が派遣した代官と手を組んだ斯波氏と三度に渡って戦い、浜松荘を奪還することに成功します。一方、今川氏から経済基盤の一つを奪われた吉良氏は、在地経営に専念するため、京都を離れることに。いわゆる都落ちという状況に追い込まれてしまいます。

今川氏との戦い。次ページに続きます

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