日本各地には多くの湧水がありますが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからでしょう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。

名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解すること。名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれません。

歴史ある水を訪ね古都を歩きます。

日本人には「神」を畏れ崇拝する心が、生まれながらに備わっているのでは? と感じる場面があります。それは、日本人ならば誰しもが体験したことがあるのではないか? と思ったりもするのですが……。

例えば、神聖な場所へ足を踏み入れた時、その場所が醸し出す厳かなる空気を感じ取ると、自ずと立ち居振る舞いが改まるであるとか? 神聖なる行事に立ち会えば、神妙な気持ちになるとか……? あるいは「神世の時代から伝承された品や行事」や「神話にまつわる場所や事柄」に接するときなど、畏敬の念や崇拝する気持ちが湧いてくるとか……? いずれも、日本人に共通する精神的特徴のように思われるのですが……如何でしょう。

外国の方にお尋ねしたことがございませんので、「その様なことは、なにも日本人に限ったことでは無い」とのご意見もあることでしょうが……。そうした議論は別にしまして「名水伝説を持つ水場」には、何とも神秘的な雰囲気が漂う場所が多いのも事実であります。なかでも、日本神話にまつわる名水地となりますと、神秘性は一段と増す感じがいたします。

今回は、古事記に登場する「天の岩戸」にまつわる神秘的な名水地をご紹介いたします。

名水百選に選ばれたことを示す銘板
名水百選に選ばれたことを示す銘板

日本各地に残る「天岩戸伝説」、何故に天照大御神はお隠れになったのか?

「天の岩戸伝説」とは、ご存知のように太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の傍若無人な振る舞いに業を煮やし、洞窟の奥へお隠れになるというお話。その天岩屋(あまのいわや)へお隠れになる、古事記の件(くだり)は以下の通りです。

天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画、明治20年(1887年)
天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画、明治20年(1887年)

於勝佐備、離天照大御神之営田之阿、埋其溝、亦其於聞看大嘗之殿、屎麻理散。
故、雖然為、天照大御神者、登賀米受而告、如屎、酔而吐散登許曽我那勢之命、為如此。
又離田之阿、埋溝者、地矣阿多良斯登許曽我那勢之命、為如此登詔雖直、猶其悪態不止而転。
天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、穿其服屋之頂、逆剥天斑馬剥而、
所堕入時、天服織女見驚而、於梭衝陰上而死。
故於是天照大御神見畏、開天岩屋戸而、刺許母理坐也。

要約をいたしますと……
誓約で身の潔白を証明した須佐之男命は、高天原での勝ちに任せて田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりして狼藉の限りを尽くします。しかし、天照大御神は「糞は酔って吐いたものだし、溝を埋めたのは土地が惜しいと思ったからだ」と須佐之男命を擁護。

しかし、それをいいことに増長した須佐之男命は、あろう事か、神に奉げる衣を織る織女たちの御殿の屋根に穴を開け、皮をはいだ血だらけの馬を投げ落とします。それに驚いた一人の天の服織女は、梭(ひ=機織りの道具のこと)が陰部に刺さって死んでしまいます。天照大御神は、そのことを嘆き悲しみ天岩戸に引き篭ってしまわれます。

この「天の岩戸伝説」は日本各地に残っており、今回ご紹介する「恵利原の水穴」も天岩屋と呼ばれる場所の一つです。

日本各地に残る「天岩戸伝説」宮崎県高千穂町にある「天岩戸神社」
日本各地に残る「天岩戸伝説」。宮崎県高千穂町にある「天岩戸神社」

誰も知らない天照大御神の岩屋の奥の暮らしぶり

日本各地に残る「天の岩戸伝説」。いずれが、真正・天の岩屋なのか? それを詮索するのは、この記事のテーマではありません。

しかし、一つの疑問が生じます。それは「お隠れになった天照大御神は、岩屋の奥でどの様にお暮らしになられたのか?」ということです。太陽神といえども「飲まず、食わず」では、洞窟の奥深くに長く留まることは難しかったのではなかろうか? と素朴な疑問を抱きました。

三重県志摩市恵利原地区に残る天岩屋の入り口
三重県志摩市恵利原地区に残る天岩屋の入り口

岩屋の奥での生活を推測すると、岩穴の奥から水が湧き出している「恵利原の水穴」なら、お隠れになる洞窟としては最適。飲料水には不自由しなかったことでしょう。このように考えますと、「恵利原の水穴」が「天岩屋」であったとする説の信憑性は高まるのではないでしょうか……?

天照大御神の洞窟内での暮らしぶりは、古事記にも残されておりませんので、こうして想像を巡らすのも面白いものです。

「天岩屋」と伝わる「恵利原の水穴」は、伊勢志摩国立公園内の一角にあります。伊勢神宮の内宮から伊勢道路を約10キロメートルほど南下。志摩路トンネルを抜けて数分すると「天の岩戸口」と刻まれた立派な石碑が見えてきます。石碑脇の鳥居をくぐり、細い林道を数百メートル進むと駐車場に到着。そこからは、徒歩で「恵利原の水穴」へと向かいます。

「恵利原の水穴」への入り口を示す石碑
「恵利原の水穴」への入り口を示す石碑

伊勢神宮と深いゆかりの地に湧き出す、昭和の百名水

「恵利原の水穴」の周辺は深い杉木立に覆われ、日中でも木洩れ日が僅かに届くような場所。神聖で厳かな空気が立ち込め、まるで伊勢神宮を訪れた時のような神妙で清爽な気持ちになります。深閑とした木立の中、歩を進めるごとに水音が徐々に大きくなり、やがて禊滝(みそぎたき)と呼ばれる滝の前に到着。

この滝の源が、昭和60年(1985)に名水百選として選定された「恵利原の水穴」になります。

参道を思わせる深閑とした木立の中の「恵利原の水穴」への道
参道を思わせる深閑とした木立の中の「恵利原の水穴」への道
「恵利原の水穴」から流れ落ちる禊滝
「恵利原の水穴」から流れ落ちる禊滝

天照大御神がお隠れになったかもしれない洞穴から湧き出る岩清水は、神路川の源流の一つ。日量31,000トンと言われる豊富な湧水が、洞穴に差し込まれた二本の孟宗竹から勢いよく溢れ出しています。この水は志摩エリアの上水施設「神路ダム」に貯水され、市民の貴重な生活飲料水の一部として利用されます。

洞穴からは、冷水と共に冷気が放出されているようで、神秘的な雰囲気が感じられます。このような厳粛な空気感が、神話の舞台と呼ばれるようになった大きな理由であるように思われました。

洞窟の奥から流れ出る日量31,000トンとも言われる湧水
洞窟の奥から流れ出る日量31,000トンとも言われる湧水

天照大御神が永住の地として選んだ、伊勢。伊勢神宮の神職は、つねに「神、おわしますが如く」お仕えするのが基本精神だそうです。その様なことを知らなくても、ただこの地にいるだけで自然と畏敬の念が込み上げてくるようでした。お伊勢参りにあわせ、悠久の歴史と神話を有する「恵利原の水穴」を散策してみられてはいかがでしょうか?

伊勢神宮のそばを流れる五十鈴川

所在地・アクセス

住 所:〒517-0209 三重県志摩市磯部町恵利原
交 通:JR東海三宮線 伊勢市駅より三重交通バス60系統
天の岩戸口で下車、徒歩約20分
自動車:伊勢自動車道 伊勢西ICより約20分


取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/小菅きらら
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
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