日本各地には多くの湧水がありますが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。

ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからでしょう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。

名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解することでもあります。名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれません。

歴史ある水を訪ね古都を歩きます。

京都は1200年を越える都。古来より人々に愛されてきた地下水や湧水が多い地です。しかし、今では嘗て名水と謳われた水も環境の変化や都市開発によって涸れてしまい旧跡だけになってしまった場所も多い。それでも、人々に大切に護られ現在でも残る名水が多いのも事実。そのことは、京都の地下水が如何に豊富かを証明しています。

その古都京都にあって、最も古い歴史を持ち、“水”と深い関わりのあるお社が祀られ、その神聖なる“水”にまつわる神事も執り行われ神社があると聞きます。

御手洗池からの井上社(別名:御手洗社)

神は“水”に何時、どのようにして宿るのでありましょうか? 

神と“水”は、切っても切れない関係にあることは、日本各地に残る神話や由緒を調べれば容易に理解できることです。各地の名水を訪ね聞けば、必ず“神”へと辿り着きます。そのことは、人間が水によって生まれ、生かされていることを考えれば至極当然であります。

しかし、何故に特定の“水”が信仰され、何故に古より神事が執り行われているのかという疑問は残ります。その疑問を解く手がかりは、やはり悠久の時代から受け継がれる神事の歴史を遡ることで見えてくるのではないでしょうか?

今回の『古都の名水散策』では、1200年以上の歴史を持ち、人々から深遠なる“御神水”として信仰され続けている“水”の歴史を遡ることにいたしました。

古都京都の市街地に広がる原生林・糺の森を潤す清廉な流れの源は「御神水」

世界文化遺産に登録されたことで、今や国際観光都市となった京都。コロナ禍の影響を受けるまでは、京都市内の各所は観光スポットと化し、どこへ行っても人で溢れかえるような状態に…。そうした京都は「本来の京都の良さが失われた」とまで揶揄されるようになっておりました。

そんな時にでも、京都の奥深さと荘厳さが感じられる場所がございました。それは、糺の森(ただすのもり)と呼ばれる約12万4千平方メートルもの社叢林(しゃそうりん=神社において社殿や神社境内を囲うように密生してる林のこと)、「糺の森」の奥に鎮座する賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ 通称:下鴨神社)です。

「糺の森」は、賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林であり、全域が国の史跡(1983年:昭和58年)に指定されております。この森は、増え続けた観光客をも深い神の御霊の如く、静かに受け入れ喧騒を浄化しているようでもありました。

糺の森に覆われた参道

その「糺の森」には「奈良の小川(下流の馬場東側あたりからは“瀬見の小川”)」と名付けられた清廉な流れがございます。一説によれば、この流れこそが『方丈記』の冒頭文「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の名文を、鴨長明に想起させた川だとも伝わっております。

「奈良の小川」の清廉な流れ

その「奈良の小川」の水源となるは、御手洗池より流れ出す御手洗川の水によるものです。御手洗池の水は、井上社(別名:御手洗社)の下から湧き出すご神水であり、神聖なる神事の際に使用され“水”でございます。

井上社(別名:御手洗社)の由緒については、境内の駒札に以下のように記されております。

境内の御手洗川の駒札

この社の前身は「三代実録」元慶3年(379)9月25日の条をはじめ諸書に見える「唐崎社」である。賀茂斎院(かもさいいん)の御禊(ごけい)や解斎(げざい)、関白賀茂詣の解除になった社である。
元の社地は、高野川と賀茂川の合流地東岸に鎮座のところ、文明の乱(応仁の乱とも呼ばれる)により、文明2年(1470)に焼亡したため、文禄年間(1592~96)に、この所に再興された。井戸の井筒の上に祀られたところから井上社と呼ばれるようになった。

伝承される神事によって“神”は“水”に宿り、御加護の“水”は恵みをもたらし人々の心身を守る

井上社の前にあるのが「御手洗池」。ここでは、年間を通して様々な神事が執り行われます。その中でも代表的な神事が、毎年「土用の丑の日」の前後五日間わたり行われる「足つけ神事」です。この神事の起こりは古く、平安期の頃からと伝わっております。

当時の貴族は、季節の変わり目には禊祓い(みそぎはらい)をし、罪、けがれを祓っていたとのこと。「土用の丑の日」は、御手洗池の中に足をひたせば、罪、けがれを祓い、疫病、安産にも効き目があると信じられ、今もその神事が継承されてます。期間中は、近畿一円はもとより遠方から老若男女が集まり、御手洗池で膝までを浸し、無病息災を祈ります。

井上社(別名:御手洗社の由緒書)

この神事、京都の夏の風物詩となっておりますが、近年の猛暑のことを思いますと、お社の下から湧き出す“御神水”から得られる涼は、正に神からの恵みを実感できる神事と言えるのではないでしょうか。

「足つけ神事」の他にも、葵祭に先駆け5月4日に行われる「斎王代禊の儀」や「矢取の神事」(やとりのしんじ)、「流し雛」などの行事も「御手洗池」にて行われます。

こうした悠久の時を越え、途絶えることなく受け継がれる神事は、千年以上に及ぶ人々の国の安寧、無病息災、家内安全への祈念をも引き継ぎ、積み重ねられ“神”へと昇天、神格化されているものと思われます。

御手洗池のこの場で様々な神事が行われる

このことこそが“神”が“水”に宿り、人々の心身を守り恵みをもたらす“御神水”となっているのでのではないでしょうか? 新型コロナが蔓延する中、境内での「御神水」の持ち帰りについては「しばらくは、ご遠慮いただきたい」とのことであります。しかし「御神水」は、社務所にて販売されていおり安全に飲用することが可能です。

井上社の社務所で販売されている「御神水」

なお、下鴨神社の境内には井上社の「御神水」以外にも由緒のある名水が複数ありますので簡単にご紹介しておきます。まず、楼門前の鳥居の側にある御手洗・直澄(ただす)。この御手洗は、御祭神の神話伝承にちなみ舟形をしており、「糺」の語源となったとの説がございます。

御手洗・直澄

もう一つの名水は、市バス下鴨神社前から下鴨神社の西門から入ったところにある御手洗・三本杉。古来より「糺の森」の三本杉から湧き出る神水とされています。旱魃のさいに、人々の生活や田畑を潤していたとの逸話を持つ名水です。

御手洗・三本杉

名水は銘菓を生み、名店を育む。その味は人々を楽しませ、やがて食文化を成す

名水のことを取材しておりますと、その場所、その地域には必ずといってもよいほど美味しい産物があります。これまで取り上げてまいりました幾つかの古都の名水でも、銘酒や銘菓を取り上げ紹介してまいりました。

「御手洗池」が由来となる銘菓があることをご存知でしょうか? 御手洗池からポコポコと湧く“水のあぶく(気泡)“を、人の形に見立て、形取ったお菓子を「みたらし団子」と呼ぶようになったと伝えられています。この地が「みたらし団子」の発祥の地、つまり総本家となるわけでございます。

そうした歴史もあることからか、ここ下鴨神社の周辺には幾つか京菓子の名店がございます。その名店の一つ、下鴨神社の境内に「さるや」という屋号のお店を出されている宝泉堂の店主(古田泰久氏)に下鴨神社と和菓子にまつわる大変興味深いお話を伺うことができました。

店主のお話によりますと…、

「その昔、下鴨神社の敷地は現在の約50倍、150万坪にもおよぶ広大なものであったと伝えられています。そのころは、賀茂川は下鴨神社の敷地を流れ、その両岸には多くの川床や出店があったそうです。

江戸時代から明治の初期の頃までは、境内にある川床や出店は大いに賑わい、参拝客に大変人気の『申(さる)餅』と呼ばれるお菓子が売られていたという古い資料(店内に掲示)が残っています。明治に入り神社本庁が創設されて頃を境に、川床や出店は姿を消してしまいました。

それから150年の時を経て、その『申餅』を、下鴨神社に残る江戸期の古文書などを参考に、できるだけ忠実に蘇らせました。」

『申餅』を再現するにあたっては…、「その素材や味もさることながら、朝日に染まった彩雲のような「薄紫」の色合いを再現するのにも苦心しました。」ともおしゃられました。何でも、彩雲は古来から瑞相(良いことが起きる前触れ)の一つと言われているそうでございます。下鴨神社の参拝後、吉兆を引き寄せる色合いの『申餅』を、是非味わってみては如何でしょうか? 

お話の最後に「江戸時代の人々のように、ゆっくりと下鴨神社を詣でながら、京都の歴史や風情を楽しんでいただきたい」とも…。そんなお話しぶりから、店主・古田泰久氏の和菓子作りへの深い思いと情熱のようなものを強く感じることができました。

新型コロナウイルスの蔓延で、幾度も緊急事態宣言が発出される中、気軽に京都観光へお出掛けることも少々難しい状況が続いております。事態が終息して、京都を旅行されました折には、是非とも下鴨神社へお参りになられ、江戸時代の人々に想いを馳せながら『申餅』を味わってみてはいかがでしょうか。

所在地・最寄り駅、交通手段

住所・所在地:京都市左京区下鴨泉川町59 
       下鴨神社(賀茂御祖神社)内 御手洗社
アクセス:京都市バス 下鴨神社前 下車すぐ(1,4,205系統利用)
     京阪電車「出町柳駅」下車徒歩約15分

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/和泉透司
協力/賀茂御祖神社(下鴨神社)
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

 

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