日本各地には多くの湧水がありますが、その中で、何故か名水と呼ばれる水があります。

ただ、美味しいというだけではなく、その水が、多くの恵みをもたらし、人々の命に深く関わり、生活を支えてきたからに他ならないからでしょう。それぞれの名水からは、神秘の香りと響きが感じられます。名水の由来を知ることは、即ち歴史を紐解くことであり、地域の文化を理解することでもあります。

名水に触れ、名水を口にすれば、もしかすると、古の人々の想いに辿り着くことができるかもしれません。歴史ある水を訪ね古都を歩きます。

全国各地には、弘法大師・空海にまつわる伝説を持つ湧水が数多あります。その数、ざっと1,400件以上も存在するとの調査報告もあるようです。それぞれ「弘法水」にまつわる伝説は色々とあるようですが、もっとも代表的なお話はおおよそ次のようなものです。

「諸国巡礼をするお大師さまが、とある村を訪ねて飲み水を所望したところ、一人の老婆が、わざわざ遠方から水を運んできてくれた。お大師さまはいたくお喜びになり、老婆に感謝しその御礼にと、以後水に困らぬように錫杖で地面を突いて、水を湧き出させた」というものです。

そうした伝説から湧き水には「弘法水」「弘法清水」「大師の水」「御杖の水」「杖立清水」等といった大師を縁とする名称がついているといいます。今回の名水散策では、日本各地に残る「弘法水伝説」の御本尊“空海の生まれ故郷”香川県「善通寺」に名水を訪ねてみることにしました。

香色山から観た善通寺の眺め
香色山中腹から観た善通寺の眺め

弘法大師の故郷、五岳山・香色山にてミニ遍路を体験する

弘法大師の生まれ故郷、善通寺は香川県の西北部に位置する門前町であります。開けた讃岐平野に在る善通寺は、地形的には平坦な場所ではありますが、その周囲にはどこか“おむすび”を連想するような大麻山(616m)、五岳山と呼ばれる山々が、地中から盛り上がった屏風のように連なった姿をみることができます。

こうした善通寺周辺の地形のことを、地質学的には地球活動の痕跡が特徴的に表れている「ジオサイト」と呼ぶそうです。

善通寺境内から観る香色山と筆ノ山と
善通寺境内から観た香色山と筆ノ山

その光景は、まるで「日本昔話」の絵本の世界に入り込んでいるような長閑な気分にさせてくれます。この五岳山は、四国八十八箇所第75番札所、弘法大師空海御誕生所である善通寺の山号であり、

・香色山(こうしきざん)
・筆ノ山(ふでのやま)
・我拝師山(がはいしさん)
・中山(なかやま)
・火上山(ひあげやま)

の総称でもあります。

そのうち最も標高の低い香色山(標高157m)には、四国霊場八十八箇所をなぞることのできるミニ遍路があります。記者も無病息災を祈念し、ミニ遍路を体験しながら香色山に参拝登頂してみました。

香色山のミニ遍路の出発点
香色山のミニ遍路出発点の風景

瀬戸内地方である善通寺市は、年間を通じて「降水量が少ない」のが気候的な特徴。讃岐地方では、水不足に備えるため、昔から「ため池」が利用されてきました。香川県の資料によると、日本一狭い県土に1万4千あまりの“ため池”があるとか。

そのため池が、鏡のように“おむすび山”を映し出す光景が、讃岐特有の風景を生み出します。

通称讃岐と呼ばれる飯野山
通称讃岐と呼ばれる飯野山がため池に映った風景

弘法大師ゆかりの水、善通寺「大師の産湯井」と「おつえの井戸」

今回の取材で、どうしても訪ねてみたかったのが、2箇所の弘法大師ゆかりの水。まず最初に訪れたのが、弘法大師が誕生した折に用いられたと伝わる「産湯井(うぶゆい)」です。広大な善通寺の境内には、有名な金堂、五重塔をはじめとして、数多くの伽藍(がらん)が建ち並んでおりますが、その中の1つ、御影堂奥殿の南に「産湯井(うぶゆい)」という御堂がございました。

善通寺の東院「伽藍」の象徴五重塔
善通寺東院「伽藍」の五重塔

善通寺の中嶋孝謙氏に、この井戸の由緒について次のようなお話を伺うことができました。

「現在、善通寺の西院(誕生院)が建つ地には、お大師さまご誕生当時、佐伯家の邸宅がありました。ここ御影堂の奥殿が建つ場所は、母君である玉寄御前(たまよりごぜん)のお部屋があった場所と伝わっており、お大師さま御誕生の聖地として大切にされています。」とのこと…。

善通寺 官長秘書・中嶋孝謙氏
弘法大師の「産湯井」の説明、案内いただいた善通寺 官長秘書・中嶋孝謙氏

産湯井のある御堂内部には入ることはできませんが、御堂の傍には手水鉢が設けられており、この手水鉢の水は自由に触れることができるとのことでした。この産湯井は、戒壇めぐり・宝物館とあわせて拝観することができます。

善通寺・御影堂奥殿南にある弘法大師の「産湯井」
善通寺・御影堂奥殿南にある弘法大師の「産湯井」

善通寺を後にして、次に訪れたましたのが「おつえの井戸」。この井戸にまつわる伝説は、香川県庁のホームページには次のように紹介されています。

「むかしむかし、弘法大師が四国を巡礼していたころのお話です。筆岡(ふでおか)(現在の善通寺市中村町)のお不動さんの近くの井戸が濁ってしまい、村人たちは困り果てていました。ご飯を炊くにも水がなく、隣村まで水をもらいに行かなければならないありさまでした。ある日のこと、一人のお坊さんがこの村を通りかかりました。

お杖の井戸の柱に掲げられた逸話
おつえの井戸に残る弘法大師ゆかりの話が、柱に掲示されていた

村人たちから、井戸の話を聞いたお坊さんは、うなずきながらこういいました。
「それでは、わしが何とかして、きれいな水を出してあげよう。」

そこでお坊さんは、自分の杖で地面をトントンと叩きながら、お経を読みはじめました。それを見ていた村人たちは、そんなことで水が出るもんかと、白い目でお坊さんを眺めていました。ところが、しばらくすると不思議なことに、地面から少しずつ水が湧きだしてきたではありませんか。

そしてみるみるうちに水の量も増え、なんと澄みきった水があふれ出してきました。これには村人たちも、驚くやら、喜ぶやら、大騒ぎになりました。その騒ぎがおさまって、ふと気がつくと、いつの間にかお坊さんの姿は見えなくなっていました。

香川県庁のホームページより転載
(https://www.pref.kagawa.lg.jp/mizusigen/mizu/kagawa_m/sj1rkc160126130134.html

村人たちは誰からともなく、「あのお坊さんは、きっとあの有名なお大師さまに違いない」といいはじめ、この井戸を「お大師さんのおつえの井戸」と呼ぶようになりました。

「お杖の井戸」の全景
「おつえの井戸」とその御堂

市民の憩いの場所「水の駅」、古くから地域の生活を支えた「さぬきの名水」訪ねる

寡雨である讃岐地方にあって、善通寺は意外にも地下水が豊富な地域のようです。それは、平地部を貫流する金倉川、弘田川によって形成された扇状地の上に善通寺市はあり、堆積した厚い礫層の中に、見えない河川が形成され伏流水が流れているからのようです。

古い文献によりますと、幕末期の善通寺市内には百箇所あまりの出水があったと記されているそうです。現在でも80箇所くらいが確認されていることからも、湧水に恵まれた地であることがわかります。善通寺周辺にある代表的な湧水を訪ねてみることにしました。

最初に訪ねたのは二頭出水(ふたがしらですい)。香川県では湧水のことを出水(ですい)と呼ぶらしいのですが、水源が二つあることからその名が付いたとか。二頭出水は、湧水量が多く善通寺市を代表する湧水として「さぬきの名水」の一つにも選ばれています。堀のような石組の貯水域には小魚が沢山泳ぎ、休憩所のある小公園も設けられ市民の憩いの場所ともなっているようでした。

善通寺市二頭出水の風景
二頭出水の風景・二つの湧き出し口を持つ出水

善通寺付近には、鎌倉時代には既に湧水とため池による水路網ができあがっていたとする歴史資料もあるとか。善通寺の周辺も水路が整備されており、人々の生活に湧水が活用されてきた歴史を感じさせてくれます。現在、二頭出水から湧き出した水は、おもに農業用に使われているようです。

「壱岐の湧」の説明書き
古くから、この地域の農業用水として利用されてきた湧水であったことが記録に残っている

続いて水の駅「壱岐の湧(いきのゆ)」へ立ち寄ってみました。説明書きによりますと、こちらの湧水は古くから農業用水に活用され地域の田畑を潤してきたことが、善通寺所蔵の国指定重要文化財「善通寺伽藍并寺領絵図」(1307年・鎌倉時代)にも描かれているとのこと。

このことからも善通寺領の重要な水源であったことがわかります。現在は「水の駅」として整備されており、堀には大きな鯉や愛嬌のある亀が泳ぎ、市民の憩いの場となっておりました。

令和5年(2023)には、弘法大師生誕1250年を迎えるとのことでございます。こうした機会に、是非一度「弘法大師誕生の地」を訪れ、善通寺周辺の歴史に触れながら散策してみては如何でしょう。

壱岐の湧
水の駅として整備されている「壱岐の湧」

近くの観光地

●金刀比羅神社

やはり讃岐といえば「金比羅さん」。有名な金刀比羅宮へは、足を運び参拝しておきたいところです。古来より海の神様、五穀豊穰・大漁祈願・商売繁盛など広範な神様として全国からの信仰をあつめる神社。参道口から御本宮までは785段、奥社までは1,368段もの石段があり、参道には旧跡や文化財が多数あります。足腰の鍛錬には、打って付けの観光地であります。

所在地・最寄り駅、交通手段

○善通寺
住所・所在地:〒765-8506 香川県善通寺市善通寺町3-3-1
アクセス:JR四国土讃線 善通寺駅から徒歩約15分

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション:和泉透司
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com

 

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