どんな人にも“死ぬまでに一度は見たい風景”があるだろう。私にも、ずっと憧れ続けた風景があった。それはアメリカ南部の田舎町、ミシシッピー州クラークスデールにある、とある十字路である。
といっても、単なる十字路ではない。伝説のブルース・ギタリスト、ロバート・ジョンソンがギターの腕前と引き換えに、悪魔に魂を売ったといわれる場所である。
還暦を目前に控えたこの夏、私は思い切って、長年夢見ていたその「クラークスデールの十字路(クロス・ロード)」を訪ねることにした。
ニューオリンズ(ルイジアナ州)から、車でクラークスデール(ミシシッピー州)、メンフィス(テネシー州)、バーミングハム(アラバマ州)を巡って、またニューオリンズへと戻る10日間の旅は、ジャズ、ブルース、ロック、ゴスペル、カントリーと音楽を訪ねる旅となった。
まさに、音楽三昧のロードムービーを地でいくような旅。その模様を、これから5回にわたってお伝えしていきたい。
■旅のはじまりの街、ニューオリンズへ
クラークスデールへは公共の交通手段はなく、レンタカーに頼るしかない。そこで、まずは空路でニューオリンズ(ルイジアナ州)に入り、そこから車でクラークスデールへと向かうことにした。
ニューオリンズのホテルは、19世紀の街並みが残る旧市街、フレンチクォーターに取った。この地域なら、徒歩で夜な夜な、ジャズクラブやライブハウスに通えるからだ。
初日は深夜のチェックインとなったので、一番賑やかなバーボンストリートを下見する程度にしておいた。時間が遅かったからか、それとも独立記念日(7月4日)の連休前だからか、思ったほどの賑わいはない。
ブルース・ホーンズビー風のピアノが聞こえてきたので、その店に入ってみた。お酒を飲みながら音楽を聞かせるこの手の店では、扉は大きく開け放たれ、道行く人に演奏を聞かせている。客の方も自分の好きなジャンルの音楽だったり、演奏が気に入ったら、店に入るという仕組みだ。
長時間のフライトもあって、心地よいピアノの音色と1杯のビールでなんだか眠くなってきた。
■さまざまな国の文化が混ざり合った独特な街
翌日は、ホテル周辺を歩いて回ってみた。フレンチクォーターには、スペイン統治時代の建物が数多く残っている。とくに、バルコニーを美しく飾る手すりや柱の細工は見事だ。アイアンレースと呼ばれ、繊細なレースを思わせる鉄細工である。
ニューオリンズ独特の雰囲気はフランスやスペインなど、さまざまな国の文化が混ざり合って醸し出される。それと同じように、料理にも各国の食文化が色濃く投影されている。炊き込みごはんの「ジャンバラヤ」はスペインのパエリアに似ているし、穴の空いていない四角いドーナッツは「ベニエ」と呼ばれ、フランス語だ。
そして、奴隷として連れて来られた黒人が伝えたアフリカの料理。中でも最も知られているのが「ガンボ」だろう。もともと「ガンボ」とは西アフリカの言葉でオクラのこと。そのオクラをベースに、スパイスをたっぷり使ったとろみのあるスープが、ニューオリンズでの「ガンボ」だ。
■音楽三昧!ニューオリンズの夜
ニューオリンズは言わずと知れた、ジャズ発祥の地。黒人奴隷たちが日曜日の午後にコンゴスクエア集まり、打楽器や管楽器とともに歌や踊りを楽しんだことに始まるという。そう、まさにこの街で、アフリカ伝統の音楽がさまざまな音楽を混ざり合い、やがてジャズに発展していったのだ。ちなみに、ジャズ界の巨匠、あのルイ・アームストロングもこの街に生まれた。
陽が落ちると、バーボンストリートのあちらこちらから音楽が聞こえ始める。そのジャンルはジャズはもちろん、ブルースやロックまで幅広い。聞き耳を立てながらも通り過ぎ、向かった先はフレンチクォーターから少し外れたフレンチマン・ストリートにある『スナグ・ハーバー』というライブハウス。
この夜のライブは、ジャズドラマーのスタントン・ムーア率いるトリオ。ムーアは超絶技巧で知られ、ニューオリンズのモダンジャズ界を牽引する一人である。
ピアノはいかにもアメリカ南部といったホンキートンク・ピアノを思わせるフレーズもあったし、ウッドベースは時々エフェクトを使って音をひずませ、アヴァンギャルド感が満載。それがムーアの正確無比でありながらホットなドラムと一体となって、自然と体が揺れ出すノリのいいサウンドが生まれた。
グルーヴ感溢れる、ニューオリンズの“いま”のジャズを聴く事ができた。
この周辺にはライブハウスが多く、音楽の質も高い。どうやら、バーボンストリートあたりの店は観光客向けが多く、地元の人や耳が肥えた音楽ファンはこちらのエリアに流れてきているようだ。夜が更けても、店をハシゴする人が大勢いた。
今回の旅の起点・ニューオリンズは、ジャズが生まれた街であり、街中に音楽が溢れる、魅惑的な街だった。
文/鳥居美砂
ライター・消費生活アドバイザー。『サライ』記者として25年以上、取材にあたる。12年余りにわたって東京〜沖縄を往来する暮らしを続け、2015年末本拠地を沖縄・那覇に移す。沖縄に関する著書に『沖縄時間 美ら島暮らしは、でーじ上等』(PHP研究所)がある。