近くて遠く、単純なのに混沌として、優しいけれど厳しい。まるでマザーグースの謎かけのような国、インド。10数年前に旅をしたインドは、今はどうなっているのか? 旅ライターの白石あづささんにとって人生で二度目のインドの旅は、インド南東部にあり歴史の古いオリッサ州を訪ねました。
まだ日本人観光客が少ない穴場エリア。海に面したオリッサならではの食事と個性的なホテル、愉快な電車の旅などを、数回に渡りご紹介します。
■もう一度、インドの旅へ
大学を卒業した翌年、就職せずに1年くらいぶらぶらしていた私は、バックパックを背負ってインドに向かいました。美術の教科書で見た美しい建造物、タージマハールが見たかったのです。
しかし、デリーの空港から一歩、外に出るとカレーのスパイスの香りと照り付ける太陽、道路のど真ん中で寝そべる牛や道幅いっぱいにのしのし歩く象。高級外車が走る横で、やせ細ったホームレスの老人がじっとうずくまる。今までの常識がぐるぐると覆るような強烈な風景に、ただ驚くほかありませんでした。
そのときには、念願のタージマハールやヨガの聖地・リシュケシュ、巨大な火葬場が有名なバラナシ、砂漠のラジャスターン地方など、インド北部を見てまわりましたが、刺激が多い旅は楽しい分、どっと疲れてしまい、帰国後しばらくは放心状態が続きました。
それからというもの、「いつかまたインドの中部や南部もめぐりたい」と思いつつづけていたものの、どうにも腰が重かったのです。
しかし、たまたま日本の友人たちがインドの東にあるオリッサというところに行くと聞いて、またインドが気になりはじめました。調べてみると、オリッサという州はご飯がおいしく、人々もおだやか。それに海辺の街プリは、インド人が新婚旅行で訪れるというリゾート地なのだとか。
これはデリーやカルカッタなどの巨大都市とは違ったインドが見られるかもしれないとの予感で、友人とは現地で合流することにして、いそいそとチケットを手配したのです。
■マハラジャ気分でデリーへ飛ぶ
オリッサの州都はブバネシュワール。成田空港からインド国営の航空会社「エア インディア」の飛行機で、まずはデリーへと向かいます。
せっかくならと、ちょっと奮発してエグゼクティブクラスを利用してみたのですが、座席がまさにマハラジャ! 窓側は赤いシート、中央の席はベージュですが、どちらも金ピカのクッションが添えられ、座り心地も抜群でした。
機内の食事はインド料理、洋食、和食の3種類から選べます。これからしばらくはインド料理を食べ続けるので、ここは和食を選択。何が出てくるのかと思ったら、前菜に茄子の田楽やつくね、タラバガニの黄身和えとコブ巻きの小鉢に続き、メインはなんと、ふっくらおいしいウナギが乗ったうな丼でした。
彩り豊かな和食はインドのお客さんにも人気なのだそう。赤ワインにも合いそうだけれど、日本酒があるか聞いてみると月桂冠の「満つる月」を持ってきてくれました。
食後にはチーズや果物、ケーキがふるまわれます。チョコレートケーキをお願いすると、なんと4分の1カット!「これが一人分!?」と太っ腹な大きさに驚いたものの、味は甘すぎず、意外とおなかに入ってしまいます。
満腹になったら、シートを倒しておやすみなさい。フルフラットにすればまるでベッド。着陸態勢に入ってスタッフさんに肩をゆすって起こされるまで、ぐうぐうと熟睡でした。
■インドに到着したらいきなり想定外
昔と違ってすっかりきれいに建て替えられ、美術館のようになったデリーの空港に感激しながら、オリッサ州の州都ブバネシュワール行きの国内線に乗り換えます。
州都ブバネシュワールまでのフライトは、デリーから約2時間。その昔、インドの空港から一歩、外に出たとたん、リキシャと呼ばれる人力車のおじさんやホテルの客引きに取り囲まれ、「こっちだ!」「あっちだ!」と手を引っ張られたことがありました。それを思い出しつつ、スーツケースの取っ手をギュウッと握りしめながら恐る恐る空港から出てみると……誰一人、寄ってきません。
じろじろと見られはしますが、いたってクールなインド人。 オリッサという州は外国人が珍しくないのか、はたまた10数年の月日を経てインドが変わったのか分かりませんが、予想外の状況に拍子抜けしつつ、タクシーの列に並びました。
空港から市内までは約4キロ。市内に着くと、先に到着していた日本の友人たちと合流し、ワゴンを借りて海辺の街・プリを目指します。途中、オリッサ最大の観光地であるコナーラクの太陽寺院に向かうことにしました。
賑やかなブバネシュワールの中心街を過ぎると、牛がのんびり歩き、田園風景が広がります。そういえば、昔のインドのように牛がゴロゴロと道で寝ている姿をほとんど見ていません。おかげで“牛渋滞”もなし。
牛は牛小屋につながれているわけではなく、道路の真ん中ではなく、人間と一緒に路肩を歩いています。「ずいぶん、おりこうさんになったねえ」と私がつぶやけば、オリッサに何度も来ている友人が「何年か前は狭い市場の路地にも牛がいたんだよ。でも、牛は入場禁止にしたみたい」と教えてくれました。
ところが、です。突然、なんでもない幹線道路のど真ん中に踏み切りのような遮断機が現れました。
「おや? ここから高速道路ってことはないよね?」とインド人のドライバーに聞くと、「このへんの地元のやつらが勝手に遮断機作って、お金とってるの。払わないとパンクさせられたり意地悪されるんだ」と苦々しい顔をします。
牛はお行儀がよくなったというのに、人間は悪知恵が働くようです。ドライバーさん、お金を払おうと窓を開け、遮断機も上に上がったとたん、アクセルを踏み込み全速力!? 後方には、あっけにとられる地元の若者たち。インドのおじさんも、やるなあ。 でも帰りも同じ道を通るのに、大丈夫でしょうか? のどかな田園に、ドライバーさんの高笑いが響きます。
■賑わう“太陽の寺院”を参拝
その手作り遮断機から20、30分後、世界遺産の太陽寺院と呼ばれるスーリヤ寺院のあるコナーラクの街に到着しました。
寺院に向かう参道には、たくさんのお土産物屋やレストランが並んでいて賑わっています。
侵攻してきたイスラム教徒を打ち破ったナラシンハデーヴァ王によって、太陽神スーリヤを祭るヒンドゥー教の寺院が建てられたのは13世紀のこと。参道を進めば、巨大な石造りの寺院が近づいてきます。
門をくぐると、正面に舞堂と呼ばれる建物があり、壁面にびっしりと細かい彫刻が彫られています。
続いて現れたのは、三角屋根の前殿。高さ38メートルあり、ほぼ作られた当時のままの姿が残されています。てっきりこれが本殿なのかと思いましたが、本殿はその裏にあり、現在は土台部分だけしか残っていません。
土台の大きさから察するに、高さ60メートル以上はあったのではないかと言われていますが、クレーン車もない当時、いったいどうやってそんな高い建物を建てられたのか不思議です。
前殿や本殿の壁面には、演奏している人や踊っている人の姿が彫られています。よく見ると抱き合う男女の像も……。これは「ミトゥナ」と呼ばれ、命の誕生や輝きを表すものだそう。
美しいことは美しいのですが、上半身、裸の男女が抱き合う彫刻に「あらら、後ろから抱きしめている男の手が女の人の胸を……なんだかちょっとエロいのもあるね」と驚くと、友人、「そうそう、別名“エロ・テンプル”とも呼ばれているらしいの」とうなずきます。
そばで小学生くらいの修学旅行生たちが、さまざまな男女の抱擁をキャッキャッと見ています。昔のインドは、おおらかだったのでしょうか。
そして、注目すべきはもうひとつ。直径3メートルほどある大きな車輪の彫刻です。本殿や前殿には12個づつ彫られているのですが、これは太陽がまわる1年間、つまり12か月を表すそう。きっと国を明るく照らしてほしいという想いが込められていたのでしょう。
取材・文/白石あづさ
旅ライター。地域紙の記者を経て、約3年間の世界旅行へ。帰国後フリーに。著書に旅先で遭遇した変なおじさんたちを取り上げた『世界のへんなおじさん』(小学館)。市場好きが高じて築地に引っ越し、うまい魚と酒三昧の日々を送っている。
取材協力:
エア インディア http://www.airindia.in/(英語サイト)
ロータストランストラベル http://www.lotustranstravels.com/(英語サイト)
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