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初めて観る誰もが「こんなに美しいとは!」と感動する弘前城の桜、誕生秘話(後編)

 

明治15年(1882)に植栽された弘前城二の丸のソメイヨシノ。現存する日本最古のソメイヨシノで今も花を咲かせる。

明治15年(1882)に植栽された弘前城二の丸のソメイヨシノ。現存する日本最古とされるソメイヨシノで、今も見事な花を咲かせる。

 

ソメイヨシノやシダレザクラを中心とした約2600本の種々の桜が、次々と咲いていき、散った花びらまでもが、濠の水面を埋め尽くして、城跡全体を桜色に染め上げていく弘前城(弘前公園)の桜。ソメイヨシノそのものの寿命が60~80年といわれる中で、樹齢100年を超えるものが300本以上存在し、今、まさに豪華な花を旺盛に咲かせている。

毎年、200万人の観光客を魅了する弘前城の桜は、桜の枝の適正な剪定と、積極的な施肥や土壌改良を基本とする「弘前方式」と呼ばれる管理技術に支えられていることは前編でお伝えした(前編を読む)。

日本一と称される弘前城の桜の中でも、とりわけ観るものの心に深く沁み入る1本がある。二の丸東門付近の樹齢130年を超えると推定されるソメイヨシノである。幹周りが4mを超え、四方に伸ばした大きく立派な枝ぶりに、毎春一斉に豪華な花をつける様は、弘前公園内の「桜の王」と呼びたくなるほどの威厳を感じさせる銘木である。

だが、このソメイヨシノは、戦後まもなく、瀕死の状態だった時期がある。それを復活させたのが、弘前公園管理事務所の職員たちによる、適正な枝の剪定と積極的な施肥だった。

こうしてよみがえったソメイヨシノは、今年4月に青森県指定の天然記念物となった。その樹勢の見事さもさることながら、やはり、弘前で生まれた独自の桜管理技術の有効性を実証するものとして評価されたことが大きい。

そして、もうひとつ評価されたのが、このソメイヨシノの130年を超える樹齢だった。

  
■私財を投じて桜を植樹したふたりの旧弘前藩士

植えたとされる人物は、菊池楯衛(きくち・たてえ)といい、青森県では「リンゴ栽培の祖」として、比較的よく知られた人物である。菊池は、旧弘前藩士で、明治政府の殖産興業政策の一環としてはじまった洋種果樹の栽培奨励に応じ、自分の屋敷地内でリンゴを栽培した。北海道の開拓使試験場等で栽培技術を学び、さらに自ら研究を重ねた。菊池のリンゴ栽培に関わる技術の開発と普及は、多くのリンゴ栽培家を育てることになり、リンゴ生産量日本一の町である弘前の礎を築くこととなった。

明治初頭の版籍奉還・廃藩置県により、城主である津軽家が去り、城郭としての機能を失った弘前城は、兵部省(後に陸軍省)の軍用地となったものの、特段の管理はなされず、次第に荒廃していった。それを憂いたのが、菊池と、同じく弘前藩士だった内山覚弥だった。ふたりは城の荒廃をなげき、相前後して、城跡に桜の植樹を行なったが、地方物産振興の研究会である「化育社」の同志でもあり、それぞれに私財を投じてのことであった、

菊池は、明治15年(1882)にソメイヨシノ1000本を二の丸・西の郭に植えた。その中の一本が、二の丸東門付近のソメイヨシノだと考えられている。

一方の内山は、明治13年に三の丸に20本の桜を植え、明治15年にも菊池と共に桜を植えたという。内山はその後も、明治28年に公園として一般公開が始まった弘前公園内に100本植樹し、市会議員を務めた任期中、公園の美化のための桜の植樹を主張し続け、明治36年には、本丸、二の丸、四の丸にソメイヨシノ1000本が植えられた。 

青森のリンゴの普及と技術的発展の端緒を開くにあたって、旧弘前藩士の果たした役割は大きかった。そして、現在の桜の名所・弘前公園の礎を築いたのも、かつての侍たちだったのである。

侍たちがはじめたリンゴ栽培が、後に、桜を管理する技術に活用されるようになるのだから、明治初頭に活躍した旧弘前藩士たちの功績は、ふたつの日本一(弘前公園の桜と弘前のリンゴ)を、現在の弘前にもたらしてくれたといえそうである。

文/小石川透(弘前市文化財課)

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