文/堀けいこ

『野田版 桜の森の満開の下』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』より 画像提供:松竹

和歌や歌謡をはじめ、芸能でもその美しさが謳われてきた「桜」は、歌舞伎の作品にもさまざまな形で登場する。その美しく華麗で、しかも儚い「桜」を見どころにする歌舞伎の舞台を紹介する。

見ぬ人に咲きぬとつげむほどだにも立ち去りがたき花のかげかな  兼好

この花を見ていない人に咲いたことを知らせに戻りたいが、そのために立ち去る時間さえ惜しい。

この和歌にある花とは”桜”のこと。兼好は、“桜”が絶頂の咲きぶりを見せるその瞬間に遭遇したのであろう。このように、日本の古典には桜を綴ったものが多く、古くから桜が日本人の心に深く染み入っていたことが分かる。しかし、花見の風習が庶民に広まったのは江戸期に入ってから。桜の品種改良も盛んに行われ、各地に”桜の名所”といわれる場所が誕生していったといわれる。

そんな江戸の時代、文人たちは歌舞伎を「陽の器」と評していた。歌舞伎は明るく華やかなもので、観る人を浮かれた気分にさせる演劇だというわけだ。その本質にふさわしい演出のひとつが、桜であったことは言うまでもない。そして、今なお、愛され続ける歌舞伎の作品の中にも、桜がさまざまな形で登場する。

満開の桜が見どころの歌舞伎では、遠見に連山、近景に寺院や五重の塔などを見せて大道具を飾ることが多い。寺と桜の絵画的なメージが切り離し難いものになっている。紀州道成寺の伝説をもとにつくられた『京鹿子娘道成寺』はその代表だ。

『京鹿子娘五人道成寺/二人椀久』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺/二人椀久』より 画像提供:松竹

桜の吊り枝を吊って舞台を美しく豪華に見せるが、そのような背景だけでなく、衣裳にも桜の文様が巧みにつかわれている。舞を舞う白拍子花子の衣裳の色は、道行の黒にはじまり、赤、浅葱(あさぎ)、鴇色(ときいろ)、藤色、玉子色、紫、白とさまざまに変わっていくが、必ず用いられているのが桜の文様。背後の雛段に並んで演奏する長唄囃子連中の裃も桜色で、桜の文様があしらわれている。

『京鹿子娘五人道成寺/二人椀久』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺/二人椀久』より 画像提供:松竹

衣裳だけでなく、小道具となる桜が印象的な歌舞伎もある。それが、長唄と清元の掛け合いの『喜撰』。場面は花見の季節の京都。六歌仙のひとりである喜撰法師が、丸坊主頭に白の着付け、黒染めの腰衣という身分の軽い坊主の格好で登場する。“花錫杖”と呼ばれる、桜をあしらった錫杖を持った喜撰法師が浮かれ気分で踊る場面は、なんとも愉快な見どころのひとつだ。

『喜撰』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『喜撰』より 画像提供:松竹

江戸の名物であった吉原仲の町の桜も歌舞伎で描かれることが多く、今は見ることのできない、その華やかな様子が、舞台では見事に再現されている。

『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』では、仲之町見染の場の幕明きの演出が特徴的で、吉原の夜桜の様子を印象付ける。すべての明かりが落ちた状態で幕があき、幕開きの合図の拍子木のチョンの音が聞こえると、一気にパアッと明かりを付ける演出は、「ちょん・ぱあ」と呼ばれ、目の前に突然現れる桜を前に、毎回、客席からため息がもれる。「陽の器」と評された江戸歌舞伎に象徴される舞台で、心浮き立つ時空といえよう。

『籠釣瓶花街酔醒』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』より 画像提供:松竹

桜は視覚的に「華やかさ」を演出する意味でとても効果的に用いられるが、一方で散る桜のはかなさと世の無常を巧みに結びつけた作品も数々ある。

『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋(くまがいじんや)』では、熊谷直実が自らの陣屋の傍らに咲く桜と、その花びらが散る様子を見て、主人の命に従って、我が子小次郎を平敦盛の身替りとした、戦乱の世の無常の思いにふける。悲劇的なイメージを宿す桜さえ観るものを惹きつけるのが、歌舞伎の舞台の魅力といえよう。

そして、もうひとつ、冒頭の兼好が詠った息をのむような“桜花絢爛”の様子が見られる、現代の歌舞伎がある。それが『野田版 桜の森の満開の下』だ。

『野田版 桜の森の満開の下』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』より 画像提供:松竹

現代演劇界を代表する劇作家/演出家、野田秀樹が坂口安吾の小説『桜の森の満開の下』と『夜耳姫と耳男』を下敷きに書き下ろした舞台『贋作・桜の森の満開の下』は、1989年に劇団 夢の遊民社により初演されて以来、演劇ファンの心を奪い、常に上演を望む声が聞かれる作品となっている。その伝説の舞台が歌舞伎として生まれ変わり、歌舞伎座で上演されたのが一昨年の8月。

『野田版 桜の森の満開の下』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』より 画像提供:松竹

主役をつとめた中村勘九郎をはじめ、松本幸四郎(本作公演時は市川染五郎)、中村七之助、坂東彌十郎、中村扇雀ら多彩な出演者の競演も大きな話題を呼び、連日、客席が埋め尽くされた。

『野田版 桜の森の満開の下』画像提供:松竹

シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』より 画像提供:松竹

安吾作品のエッセンスを随所に散りばめた壮大な物語、そして、恐ろしいほどに妖しく美しい世界観が観るものの心を鷲掴みにするその舞台を彩ったのが、満開の桜。舞台いっぱいの桜、大量の散り桜のなかでの演技。そして、桜が大胆にあしらわれた衣裳など、それはそれは美しいものだった。なんとその歌舞伎座での舞台が、再びシネマ歌舞伎として全国のスクリーンに登場する。

シネマ歌舞伎とは、歌舞伎の舞台公演を撮影し、映画館でデジタル上映するという新しい観劇空間。巧みなカメラワークによって、俳優の息遣いや衣裳の細かな刺繍まで見ることができる映像の美しさは、シネマ歌舞伎ならではの魅力といえる。

シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』は4月5日(金)から、全国各地の映画館で上映される。桜咲くこの季節、歌舞伎の舞台に圧倒的な美しさで咲く桜との一期一会を堪能してはいかがだろう。

上映劇場などの詳細は、シネマ歌舞伎ホームページまで
https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/sakuranomori/

文/堀けいこ

 

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