文/田中昭三

奈良の東大寺二月堂で3月1日から2週間にわたって行なわれる、1250余年という長い歴史を持つ仏教行事「お水取り」。連綿と受け継がれてきた、春の訪れを告げる奈良の風物詩でもあるこの一大行事は、いかなるものなのか。

入江泰吉が撮影した写真とともに、世界的にも希有な仏教行事の謎を探ってみたい。

達陀(だったん)の行で松明を振り回す火天(かてん)。狭い堂内が火事になるかと思うくらいの火の勢いである。

達陀(だったん)の行で松明を振り回す火天(かてん)。狭い堂内が火事になるかと思うくらいの火の勢いである。(c)入江泰吉

「お水取り」には不可思議なプログラムが多い。そのひとつが、「達陀(だったん)」と呼ばれる法会(ほうえ)である。達陀とは何語なのか、何を意味するのか、まだよく分かっていない。3月12、13、14日の深夜にのみ行なわれる。

達陀を行なうのは8人。それぞれ、火天(かてん)、水天(すいてん)、ハゼ、楊枝(ようじ)、太刀、鈴、錫杖(しゃくじょう)、法螺(ほら)という奇妙な名前をもち、全員で「八天」という。いずれも頭に達陀帽という兜のような帽子を被って登場する。

ピョンと飛び上がりハゼを撒くところ。達陀の行ではこのようなダイナミックな所作が続く。

ピョンと飛び上がりハゼを撒くところ。達陀の行ではこのようなダイナミックな所作が続く。(c)入江泰吉

八天は交互に現れ、火の粉、香水、ハゼ(もち米を炒って爆(は)ぜさせたもの)を撒き散らし、楊枝を飛ばし、鈴・錫杖を打ち鳴らし、太刀を振りかざし、法螺貝を吹いて走り去る。これは、八天それぞれが自分たちの呪物(じゅぶつ)で堂内を清める所作である。

中でも圧巻なのは火天の動き。大きな松明(たいまつ)を引きずり、堂内を10回ぐるぐる歩き回る。炎は結構大きいので、辺りはたちまち熱気で包まれる。これでは「お水取り」ではなく、火の祭典である。初めて見たときは、一体何をしているのかと驚くばかりだった。まるで劇場で芝居を見ているようで、とても神聖な仏事とは思えない。

足袋裸足のまま堂内を走る「走りの行法」。普段は差懸(さしかけ」という木沓(きぐつ)を履いている。

足袋裸足のまま堂内を走る「走りの行法」。普段は差懸(さしかけ」という木沓(きぐつ)を履いている。(c)入江泰吉

もうひとつ不思議なのが「走りの行法」というもの。3月5日、6日、7日と12日、13日、14日に行なわれる。

「お水取り」を担当する僧侶「練行衆(れんぎょうしゅう)」たちは、一日に何度も、堂内に安置された観音菩薩の周りを歩き回りながら経を唱える。一方、この「走りの行法」では、文字通りぐるぐる駆け回る。

なぜ、走り回るのか。元々「お水取り」の行は、天上世界の仏事をこの世で再現したもの。一説では、天上世界の一日はこの世の400年に当たる。そこで天上の行に一歩でも近づくために「走る」のだという。

前回紹介した言語学者の伊藤義教(いとう・ぎきょう)は、その説はどうも怪しいと考えた。彼は達陀と走りの行法は本来一体であり、そのルーツはイランのゾロアスター教にあるとした(詳しい記事はこちら)。

彼の『ペルシャ文化渡来考』(岩波書店)によれば、ゾロアスター教には、火の神アードゥルとエールマンが山岳中の鉱物を溶かし、その中を人々に通過させて罪障を清めさせる儀式がある。その時、義者は温かい乳の中を歩いているように感じ、不義者は溶鉱の中を歩くように感じるという。

そして「達陀」の火は溶解した金属、「走り」はその中を「通過する、火を渡る」ことを意味しているという。ただし、二月堂のお水取りでは、「走り」の後に「達陀」が行なわれる。伊藤は、「走り」を先に置くことにより、火の中の通過と滅罪を予知させているのだと読み解く。

はたして真偽やいかに。もはや永遠の謎かもしれないが、秘密が増せば増すほどお水取りの魅力は深くなる。

※入江泰吉(1905~1992)・・・戦後一貫して奈良の仏像、古社寺、風景などを撮影。昭和21年から20余年、「お水取り」を撮り続けた。『古色大和路』『萬葉大和路』『花大和』の三部作で菊池寛賞受賞。勲四等瑞宝章、仏教伝道文化賞などを受賞。水門町の旧宅が公開されている。

文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。

 

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