文/田中昭三

奈良の東大寺二月堂で3月1日から2週間にわたって行なわれる、1250余年という長い歴史を持つ仏教行事「お水取り」。連綿と受け継がれてきた、春の訪れを告げる奈良の風物詩でもあるこの一大行事は、いかなるものなのか。

入江泰吉が撮影した写真とともに、世界的にも希有な仏教行事の謎を探ってみたい。

大仏殿正面の観想窓。大晦日と8月15日の万灯供養会のときに開き、大仏の顔を拝むことができる。

東大寺大仏殿正面の観想窓。大晦日と8月15日の万灯供養会の時に窓が開かれ、大仏の顔を拝むことができる。(c)入江泰吉

■過去、4度あった中断の危機

「お水取り」が始まったのは奈良時代中頃の天平勝宝4年(752)。ちょうど東大寺の大仏さんが完成した年である。以来、今日に至るまで1250年以上の歴史を誇る。「お水取り」が行なわれるのは、東大寺境内の東奥にある二月堂。お水取りが旧暦2月の行事なので、いつしか二月堂と呼ばれるようになった。

日本の長い歴史を見ると、天災あり、戦乱あり、さらには宗教上の争いがたくさんあった。それらによって多くの仏教寺院が後ろ盾を失って衰退したり、一夜にして壊滅状態に陥った。

寺社の行事も同様である。伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮(新宮を造営して神霊を移す行事)でさえ、室町時代の動乱期には130年間ほど中断している。東大寺も例外ではなく、お水取りは3度にわたって存続の危機に見舞われた。1度目は、治承4年(1180)。当時、権勢を誇っていた平家は奈良の興福寺の僧兵と鋭く対立。その年の12月28日、清盛(きよもり)の息子・重衡(しげひら)が奈良に兵を進め、敵をおびき出すために民家に火を放った。折しも寒風が吹き荒れ、興福寺や東大寺の伽藍に飛火。火はあっという間に燃え広がり、東大寺では大仏殿や南大門など主要な建物が焼失してしまった。

2度も焼け落ちた東大寺大仏殿。いまの大仏は元禄5年(1692)に再造された。

夕景に浮かぶ東大寺大仏殿。過去、2度も焼け落ち、現在の大仏は元禄5年(1692)に再造されたもの。(c)入江泰吉

幸い二月堂は焼け残ったが、もはやお水取りどころではない。その時の別当(住職)だった弁暁(べんぎょう)は、翌年のお水取り中止を決断。ところが15人の僧侶が立ちあがり、「ここで止めたのでは400年の伝統が途絶える」といって強硬に反対。その結果、お水取りは例年通り決行された。

2度目の危機は、室町時代の永禄10年(1567)10月。戦国武将の三好長慶(みよしちょうけい)の家臣と松永久秀(まつながひさひで)らが、東大寺を戦場にして戦った。またしても大仏殿は全焼、大仏の首も焼け落ちてしまった。この時も二月堂は全焼を免れたが、翌年のお水取りは難航を極めた。

そして3度目は、江戸時代の寛文7年(1667)である。なんと、お水取りの13日目に、行の残り火がもとで二月堂から出火。堂はあっという間に焼け落ちた。残りの行は近くの法華堂(三月堂)で何とか終えたが、二月堂の再建には3年かかっている。その間、仮堂を建て行を継続。この時も伝統は死守されたのである。

お水取りは「別火(べっか)」という準備期間を入れると1か月に及ぶ一大行事。10年以上参加してはじめて全体像が把握できるという。

お水取りは「別火(べっか)」という準備期間を入れると1か月に及ぶ。10年以上参加してはじめて全体像が把握できるという。(c)入江泰吉

こうして3度の危機を乗り越えたが、昭和20年、過去最大のピンチが訪れた。太平洋戦争である。戦争末期、夜は灯火管制が敷かれ、街灯はもとより家の中の灯りも禁止となった。軍からはお水取り中止の圧力がかかった。

しかし、時の別当は、それを断固拒否。外に光が漏れぬよう堂内に黒い幕を張り巡らし、野外での行事は簡略化して無事にやり終えた。その努力の甲斐あって、伝統は絶えることなく受け継がれ、今日に至っている。

「お水取り」は古くから「不退の行法」といわれる。一度、始めたら中断はできない。その強い意志が、存続の危機を乗り越えさせたのである。

次回は、お水取りの起源や、その神秘的な行の内容に迫ってみたい。

※入江泰吉(1905~1992)・・・戦後一貫して奈良の仏像、古社寺、風景などを撮影。昭和21年から20余年、「お水取り」を撮り続けた。『古色大和路』『萬葉大和路』『花大和』の三部作で菊池寛賞受賞。勲四等瑞宝章、仏教伝道文化賞などを受賞。水門町の旧宅が公開されている。

文/田中昭三
京都大学文学部卒業。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。

 

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