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文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)

ハプスブルク帝国の美貌の皇妃エリザベート。オーストリアの栄華を確固たるものにした、皇帝フランツ・ヨーゼフの皇后としての波乱の人生と、その謎に包まれた暗殺事件は、多くの映画やミュージカル作品の題材にもなっています。

1837年にドイツ・バイエルン地方の貴族の娘として生まれ、15歳でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフに見初められて結婚したエリザベート。その美貌ゆえに人気を博しながら、民族主義の台頭、息子の皇太子ルドルフ心中事件、自身の旅へのあこがれと、様々な波にもまれ、数奇な運命をたどりました。

ウィーン、フォルクス庭園にあるエリザベート像

ウィーン、フォルクス庭園にあるエリザベート像

皇后エリザベートは1898年に、スイスのジュネーブ、レマン湖のほとりで、無政府主義者ルイジ・ルキーニによって暗殺され、60年の生涯を閉じます。

「なぜエリザベートは暗殺されたのか?」というテーマは、大きな謎に包まれています。ウィーン発の世界的に有名なミュージカル「エリザベート」では、死者の国で裁判を受ける暗殺者ルキーニに、「なぜ皇后を殺したのか?」という問いを投げかけ、作中でその謎解きをしていくことで進んでいきます。

皇妃エリザベートに焦点を当て、暗殺の理由を解きほぐす作品は多々ありますが、暗殺者ルイジ・ルキーニの人生については、あまり知られていません。皇后とは両極の世界で、波乱万丈な人生を送ったルキーニの生涯に迫ります。

暗殺現場の近くに立つエリザベート像

暗殺現場の近くに立つエリザベート像

●孤児から無政府主義者へ

1873年、パリでイタリア人の母から私生児として生まれ、北イタリアの孤児院で育ったルキーニ。その後養父母を転々としつつ、たった二年間通った学校も庭師や下男の仕事と掛け持ちし、国からの養育費や稼ぎは、養父母に渡っていました。10歳で学校を去って石工の下で働き、16歳には独り立ちして鉄道工夫、湾口労働者、道路工事などの仕事をしつつ、その日暮らしは続きます。少しでもましな労働条件を求め、裸足同然でアルプスを越えて、スイスやオーストリア、ハンガリーまで仕事を探しに行き、約二年各地を転々とします。

1894年から3年半の兵役は、衣食住が支給され、人生の中では比較的まともな時期でした。勲章も得ましたが、実際は参加する前に終わってしまった戦いでした。この頃に無政府主義の考え方に触れ、社会情勢に目を向けるようになります。兵役後、軍隊で上司だったイタリア貴族の召使として三か月半仕え、「労働者の汗を利用して貴族がどんな快適な暮らしをしているのか」を目の当たりにします。

暗殺までの半年間、ルキーニは再びアルプスを越え、スイスで工事夫の仕事を転々とします。無政府主義については独学し、一匹狼のアナーキストと自称しますが、実際は組織に属していて仲間がいた可能性も指摘されています。

無政府主義(アナーキズム)は、19世紀の社会主義運動から生まれたイデオロギーで、階級社会を廃止し、社会主義的社会を作ることを目的としています。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アナーキズム運動は世界中で台頭し、多くの国家元首に対して暗殺が企てられました。ルキーニが無政府主義を信奉し、王侯貴族の暗殺を目指すようになったのも、時代の流れと言えるでしょう。

ルキーニのターゲットのうちの一人は、ミラノでの労働者蜂起を激しく鎮圧した、イタリア王ウンベルト一世でしたが、皇后暗殺事件の翌年、アメリカ人無政府主義者の銃弾に倒れています。

第二のターゲットは、フランス王ルイ・フィリップの曾孫にあたる、王位請求者で探検家のアンリ・ドルレアンでした。逮捕後の供述でルキーニは、ジュネーブに来るオルレアン公を狙っていたが、結局現地に現れることはなかった、と語っています。

王侯貴族を暗殺して、世間を震撼させることが目的だったルキーニは、オーストリア皇后がちょうどジュネーブに来ていることを知ります。皇后がお忍びで侍女と二人だけで宿泊しているホテルの周りを偵察し、ボーイが荷物を船に積み込むところを目撃します。凶器は、細い短剣か太いアイスピックのようにも見える、刃渡り11センチほどの細長い「ヤスリ」に、約5センチの手作りの木製の柄を付けたもの。これを胸元に忍ばせ、待ち伏せます。

エリザベート皇后が宿泊していた、湖畔のホテル、ボー・リヴァージュ

エリザベート皇后が宿泊していた、湖畔のホテル、ボー・リヴァージュ

●暗殺

1898年9月10日、ジュネーブのレマン湖のほとりに滞在していたエリザベート皇后は、侍女のイルマ・スターライと共に、対岸の高級リゾート、コーに向かうための船に乗るため、宿泊していたホテル、ボー・リヴァージュから船着き場へと、モンブランが見える散歩道を歩いていました。

レマン湖畔の散歩道

レマン湖畔の散歩道

そこへ突進してきた男が、胸元に殴りかかるようにぶつかります。皇后は驚いたように倒れますが、すぐに立ち上がり、目撃していた通行人に助けてくれた礼を言い、そのまま10分ほど90メートルの距離を歩いて船に乗りました。

皇后が刺された後歩いた、湖畔のプロムナードと船着き場

皇后が刺された後歩いた、湖畔のプロムナードと船着き場

実際はこの時に、凶器の「ヤスリ」が肋骨を砕き、8.5cmの深さで心臓に到達していたわけですが、傷が細かったため出血が抑えられ、皇后は刺されたことにすら気づかず、歩き続けました。途中で侍女に、「時計でも盗みたかったのかしら」と話していることからも、ルキーニの襲撃が致命傷を与えたことに、全く気付いていなかったことがわかります。

皇后が亡くなったときに着ていた服。刺し傷は右の胸元に点のようについていて、ほとんど見ることはできません(ブダペスト国立博物館所蔵)

皇后が亡くなったときに着ていた服。刺し傷は右の胸元に点のようについていて、ほとんど見ることはできません(ブダペスト国立博物館所蔵)

蒸気船に乗った直後、エリザベートは突然倒れました。皇后が意識を失ったので慌てて、侍女は服を緩め、そこで初めて胸元に血がにじんでいることを発見し、身分を明かして医者を呼びます。すでに離岸していた船は岸に戻り、皇后はホテルに運び込まれ、亡くなっていることが確認されました。最期の言葉は船上で意識を失う前につぶやいた、「私に何が起きてしまったの?」だったと言われています。

皇后暗殺を伝える史跡パネル

皇后暗殺を伝える史跡パネル

●ルキーニのその後

ルキーニは現行犯逮捕され、取り調べの最中に皇后死亡の一報を聞き、「アナーキズム万歳!アナーキスト万歳!」と叫んだことが、記録に残されています。本人は死刑を希望し、死刑のあるスイスの別の州への移送を希望しましたが、終身刑が宣告され、ジュネーブの刑務所に収容されました。

逮捕後の取り調べの記録が残されていますが、真相は謎に包まれています。ルキーニは「皇后を狙ったのは偶然だ」「組織に属さない一匹狼で、単独犯だ」と主張していますが、ジュネーブ警察の調査が進むにつれ、様々な嘘やほころびが暴かれていきます。本人は最後まで単独犯を主張しますが、皇后の旅程を教え、凶器を準備した仲間が多数いたのではないかと、ジュネーブ警察は推測しています。今となっては真相は闇の中ですが、単独犯と主張することで、仲間を守り、さらに手柄を独占できた、ルキーニの「計画通り」であったのかもしれません。

逮捕から11年後の1910年10月19日、ルキーニは独房内で、ベルトで首を吊って自殺しているのが発見されます。

死後、脳はジュネーブで解剖され、異常なしとされた後、ホルマリン漬けにされます。1985年にはウィーンに運ばれ、「狂人の塔」と名付けられた旧精神病棟、現解剖病理学博物館に保管されました。2000年以降は、ウィーン中央墓地の解剖者墓地に埋葬されています。

「狂人の塔」(現解剖病理学博物館)

「狂人の塔」(現解剖病理学博物館)

ウィーン中央墓地、解剖者墓地方面

ウィーン中央墓地、解剖者墓地方面

●無政府主義者と国家元首の戦い

ジュネーブでの暗殺事件を受け、同年ローマで、「国際反無政府主義会議」が開催されました。この会議には21か国が参加し、国境をまたいで組織的に暗殺計画を遂行する無政府主義者から国家元首を守るため、協力体制が作られました。

具体的な合意内容は、国際的な無政府主義者を監視する組織を作ること、爆薬の違法な所持や使用の禁止、無政府主義的組織や宣伝の禁止、名声やプロパガンダ目的での暗殺を抑止するための、暗殺事件報道の抑制などでした。

国際的犯罪者予備軍を国家が協力して監視し、取り締まる仕組みは、インターポール(国際刑事警察機構)結成の最初のきっかけにもなったと言われています。

* * *

ヨーロッパの大国ハプスブルク帝国皇后の暗殺事件は、世界中を揺るがし、大きな衝撃を与えました。

「なぜエリザベート皇后は暗殺されたのか?」その問いに、「皇后の死へのあこがれ」と答える作品もあります。一方で、貧困や階級間の格差が無政府主義運動を生み出し、暗殺の動機となったとする説もあります。

旅から旅を続けてさまよっていた皇后にとって、予期せぬ暗殺は、まさに自らの望む「突然の痛みのない死」の訪れだったのかもしれません。最愛の娘マリー・ヴァレリーは、皇后の手による「死ぬときは、海に横たえてほしい」という詩を思い出し、「まさにレマン湖は海のようだ」と述べています。

暗殺現場からは、皇后エリザベートが愛したモンブランが、レマン湖の向こうに見える

暗殺現場からは、皇后エリザベートが愛したモンブランが、レマン湖の向こうに見える

一方で、貧しい生い立ちと、職探しの旅にもまれた人生ゆえに無政府主義に心酔し、世界の新聞の第一面を飾る大事件を起こして一躍有名になったルイジ・ルキーニ。どこにでもある労働者の姿だからこそ、社会構造の生み出した闇の深さが浮き彫りになります。

皇后エリザベート暗殺事件は、世界が大きく変わる19世紀末に、王侯貴族と労働者という両極の世界の二人が、それぞれの長い旅の途中で一瞬出会った、まさに時代を象徴する瞬間と言えるのかもしれません。

文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。

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