文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)
音楽の都として知られるオーストリアの首都ウィーンですが、その起源は、古代ローマ帝国属州の軍事基地として栄えた、1-5世紀ごろにあると言われています。今回は、時代を大きくさかのぼり、ウィーンの歴史を書き換えることになった考古学的大発見と、その意外なきっかけについてご紹介します。
ローマ時代のウィーン
ウィーンがローマ人によって作られた都市であった名残は、町のいたるところに見られます。ハプスブルク家の王宮のすぐそばには、ローマ人によって築かれた道路の遺跡が残されていますし、「ローマ博物館」には、数多くの発掘物が収められています。
ローマ帝国は、1世紀後半から北へと属州を増やし、現在のオーストリアのドナウ河以南を支配下に収めました。敵対するのは、ドナウ河以北に住むゲルマン人。ドナウ南岸沿って、数々の宿営地が作られ、ローマ帝国辺境の砦としての役割を果たしていました。
その中でも、古い街道上にあり、ドナウ河を渡りやすい場所に、「ヴィンドボナ」(Vindobona)という町が作られました。これが、現在のウィーン(Wien)の語源となった、古代ローマの宿営地の名前です。
ローマ人はこの地に、壁や堀で守られた区域を作り、将校の屋敷やローマ風呂を建設し、軍事拠点を造り上げました。その名残は町のいたるところに見られ、住居や風呂、床暖房の跡などが発掘されています。
ローマ時代の遺跡のほとんどは、現在地上に建物が建てられているため、工事の際に考古学調査が行われ、また埋められてしまうことがほとんどです。発掘物はデータベース化された後、ウィーンミュージアムの倉庫に所蔵されますが、展示されるものはほんの一部にすぎません。
ウィーンの歴史を塗り替える考古学的大発見は、こんな日の目を見ない15万個の発掘物の山から発見されました。
28歳高校教師の博士論文
ウィーン大学都市考古学の博士課程で研究しつつ、高校で歴史とラテン語の教師をしている、28歳のニクラス・ラフェツェダーは、博士論文執筆のため、国際発掘データベースでキーワード検索をかけていました。そんな日常的な研究風景が、今回の発見のきっかけでした。
ローマ帝国支配下の各自治都市には、ローマから特別な「都市法令」の文書が授けられました。この法令は、ヨーロッパ中どの都市でもほぼ同じ定型文が使われているのですが、1986年にスペインで発見された都市法令で、文面の7割が明らかになりました。
この定型文のキーワードを、データベース上で検索していたラフェツェダーは、ウィーンの博物館の倉庫に眠っているブロンズ片に、同じ言葉が含まれていることに気が付いたのです。
手の平に載るくらいのサイズの細長いブロンズ片は、1913年にアム・ホーフ広場の一角の工事の際に発掘されたあと、100年以上も倉庫に置かれていたものです。発掘時の調査では、板上のたった41文字のアルファベットから読み取れるのは、わずかにedicta(布告)という単語とGalbaという1世紀初頭の短命な皇帝の名だけで、重要性はないと結論付けられていたのです。
ところが、スペインの都市法定型文と照らし合わせたところ、このブロンズ片が、「都市権」を与えられた特権的な街だけが所有することができた、非常に重要な文書だったことがわかったのです。
古代から中世にかけて、「都市権」は町にとって、一定の自治権を意味する、とても重要なものでした。ローマ帝国から「都市権」を与えられた集落は、広大な帝国の中でも数少ない特権を持ち、「自治都市」(Municipium)を名乗ることを許されました。それに伴い、政治や裁判、税金やインフラなどの公的秩序も整備され、特権的な立場を得ることができたのです。
従来の研究では、ヴィンドボナは辺境の「宿営地」であり、「都市権」を持ったのは、ローマ帝国滅亡後、中世の1221年であったというのが通説です。
しかし今回の発見で、A.D.120-250年の間には既に、イタリアやスペインなどの帝国の中心地と同レベルで自治都市化されていたことがわかり、辺境であったはずのウィーンの、「都市」としての歴史が1000年も遡ったのです。
まさか、博物館の倉庫に、これほどの貴重なものが眠っていたとは、まさに「灯台下暗し」です。最も驚いたのは、博物館の学芸員だったことでしょう。このブロンズ片の除幕式には、自然史博物館での勤務経験のあるウィーン市長も参加し、興奮した面持ちで「ウィーンの歴史は、書き換えられなければならない」と述べました。
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28歳の高校教師による、ウィーンの歴史を覆す考古学的大発見。一見、発掘物のデジタル化の恩恵を受けた偶然の産物にも見えますが、その裏には、膨大な歴史資料とその知識を駆使し、たった41文字から大きな意味を見出す、歴史へのあくなき探求心がありました。
歴史は、教科書に書かれたものが全てではなく、今でも研究と再発見により、大きく書き換えられている最中です。デジタル化や国際的なデータベースを駆使した新たな発見は、その動きに拍車をかけるのかもしれません。
文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。