文・写真/佐藤モカ(海外書き人クラブ/イタリア在住ライター)
世界遺産都市、フィレンツェ。情緒豊かな街を横断するアルノ川沿いに、あまり訪れる人もいない小さな博物館がひっそりと建っている。ロドルフォ・シヴィエロの家博物館「Museo Casa Rodolfo Siviero」(http://www.museocasasiviero.it/ww4_siviero/casasiviero.page)。日本ではほとんど知られていない人物だが、かつてこの家の主だったロドルフォ・シヴィエロこそは第2次世界大戦時にスパイとして活躍した本物のシークレット・エージェントである。
ジョージ・クルーニー監督・主演の「ミケランジェロ・プロジェクト」という映画をご覧になったことはあるだろうか。ジョージ・クルーニー扮するハーバード大学美術館館長が仲間を集めて、ナチス軍によって強奪された世界各国の美術品を取り戻すという実話を元にした映画である。
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍の支配下に置かれた地域では、貴重な美術品が親衛隊によって次々に強奪され、国外へと運び出されていた。美術愛好家だったヒトラーはドイツに世界一の美術館を作る計画を練っており、そのために世界中の優れた芸術品を盗み出そうとしていたのだ。更に悪いことに、ナチス軍が敗れて撤退する際には、彼らは現地の美術品を容赦なく破壊した。手に入らぬのなら、壊してしまえと…。こうして、歴史上重要なヨーロッパの至宝が次々に失われていった。そんな状況に危機感を覚えた美術のエキスパートたちによる奪還・救出作戦が、水面下で密かに行われていたのである。
この映画と同じミッションを帯びて手に汗握る冒険を実際に行っていたのが、我らがシヴィエロである。彼は命の危険も顧みずナチス政権化のドイツに赴いて情報収集を行い、祖国イタリアから重要な文化財が奪われることを事前に防いだり、略奪された美術品を回収、あるべき場所に返還することに生涯を捧げた信念の男であった。
ロドルフォ・シヴィエロは1911年のクリスマスイブにピサ近郊で生まれた。その後、警察官であった父の仕事の関係で、13歳の時にフィレンツェに移住。そこで出会った優れた芸術作品の数々に深い感銘を受けた。やがて自らもアーティストを志すものの断念し、芸術評論家の道へ。1937年には美術史の奨学金を得てベルリンに留学、評論家として勉学に励んだ…というのが彼の表向きの顔である。
実際には、シヴィエロの人生はもっと複雑で危険に満ちた運命を辿ることとなった。記録では1934年、23歳の若さで既にシークレット・エージェントとしてイタリア軍に参加しており、ドイツ留学もスパイ活動のための計画の一つだったのだ。
イタリア帰国後も、彼は留学時代に築き上げた人脈を駆使して諜報活動を行い、ドイツ軍による美術品強奪の情報を事前にキャッチしては未然に阻止していった。中でも有名なのは、友人でもあった形而上絵画の巨匠デ・キリコの身柄と作品を保護した時の冒険譚である。
当時キリコはフィレンツェ近郊に自宅兼アトリアを構えていたが、彼の妻がユダヤ人であることをハウスキーパーの女性がナチス軍に密告。軍が逮捕に向かっているという情報が、シヴィエロの元に届いた。シヴィエロからの警告を受けてキリコと妻は直ちに逃げ出したが、時間がなかったためアトリエに保管されていた絵画を運び出す余裕がない。このままではイタリア近代絵画の傑作が失われてしまう。
そこでシヴィエロは直ちに仲間を招集し、ナチス軍の到着よりも早くキリコの作品を盗み出す計画を立てた。なんと彼は警察官の制服を着てキリコ宅を訪れ、職務質問を装ってハウスキーパーの注意を玄関に向けさせたのだ。
その間に仲間たちがこっそりと自宅裏からアトリエに侵入。物音を立てぬよう注意しながら、キリコの作品群をゴッソリすべて外に運び出した。あわやナチス軍が到着するという時、ほんの僅かな差で仕事を終えたシヴィエロたちは、用意してあったトラックに乗って逃走。彼の勇気ある行動のおかげで、デ・キリコの作品は今でもイタリアの宝として国内に残り、美術史において後のシュルレアリスムに多大な影響を与えることとなった。
この他にも彼が守った美術品や保護したアーティストは枚挙にいとまがないが、彼自身の身も決して安全だったわけではない。1944年には北イタリア・トリエステにて拘束され、2か月間に渡って恐ろしい拷問を受けた。しかし優秀なスパイであった彼は自身の素性を決して漏らすことはなく、牢獄から救出されるまで秘密を守り抜いた。
イタリア人からは敬意を込めて「芸術の007」の異名で呼ばれる彼の邸宅は、現在博物館として一般公開されている。一時期この家に逗留していたキリコから友情の印として贈られた絵画を始め、ローマ時代の胸像や14〜15世紀の木像などの優れたコレクションを間近に見られるのはもちろん、戦時中暗躍した一流スパイの暮らしぶりを知ることができる貴重な博物館である。
一見すると趣味の良い平和そうな屋敷だが、屋外へと素早く逃げるための秘密の通路などを目にすると、彼がスパイとしていかに注意深く暮らしていたかが窺える。立派な天蓋付きのベッドが置かれた寝室があるが、彼がこのベッドで眠ることはほとんどなかった。常に危険と隣合わせだったからなのか、シヴィエロは熟睡を恐れるかのようにソファーで短い休息を取るのが習慣だったという。
終戦後も、シヴィエロは既に国外へと運び出されてしまっていた作品群を探し、奪還することに生涯を掛けた。そして彼の遺言により、自らの死後は博物館として公開するという条件で、彼のコレクションや邸宅はすべてトスカーナ州に寄付された。
生前、シヴィエロは一つの強い信念を持って人知れず戦いを続けてきた。その信念とは、あらゆる芸術作品は強者によって不当に略奪されて良いものではない。それらは各国家のアイデンティティとして、いかなる状況下においても絶対に不可侵の文化資産である、というものだ。
シヴィエロの家博物館が現代の私たちに伝えるものは、芸術の007として活躍した彼の華々しい経歴や、美しい美術品だけではない。この博物館を一つのシンボルとして、彼の信念を未来へと伝えていくことこそが、死ぬ前にシヴィエロが為した最も重要なミッションだったのである。
Museo Casa Rodolfo Siviero (ロドルフォ・シヴィエロの家博物館)
http://www.museocasasiviero.it/ww4_siviero/casasiviero.page
住所 Lungarno Serristori, 1-3, 50125 Firenze FI
文・写真/佐藤モカ(イタリア在住ライター)
2009年よりイタリア在住。イタリア在住ライターとして多数の媒体に執筆する他、マーケティングリサーチャー、トラベルコンサルタント、料理研究家など幅広く活動。自身のYouTubeチャンネルで素顔のイタリアを届ける海外動画の配信も行っている。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。