文・写真/横溝絢子(海外書き人クラブ/トルコ在住ライター)
世界最古の神殿
トルコの南東部は、文明発展の源となったチグリス川とユーフラテス川に挟まれた小アジア(アナトリア)の南東に位置する、豊かな歴史と文化遺産に恵まれた場所。
古代のアッシリアやローマ、ペルシャなどさまざまな帝国や文明、民族が行き交った。
その歴史は新石器時代の紀元前7,000年頃にも遡る。
紀元前2,000~1,500年にフルリ人、紀元前1,200年頃にはヒッタイト人がこの地を支配した。
1983年、このトルコ南東部のシャンルウルファ県郊外にある山頂からギョベクリ・テペ(太鼓腹の丘の意)が発見される。
1995年よりシャンルウルファ博物館とベルリン・ドイツ考古学研究所による共同の発掘作業が開始され、全容が明らかになった。
ギョベクリ・テペは、エジプトより約7,000年も古い、1万1,600年前に作られたと考えられる世界最古宗教施設であることが分かる。
2007年以降、ドイツ人学者クラウス・シュミットをリーダーとして発掘作業が進められ、地磁気調査では、直径8メートルから30メートルの円形をした礼拝所が20箇所発見された。
発掘の結果、巨大なT字形の石柱を円形状に建ち並べ、大きな円の中に小さな円があるといった綿密に設計された遺跡であることが分かった。T字型は人間の形のように見ることができ、そして胴体部分にはキツネ、ライオン、イノシシ、蛇、鳥など、様々な動物が刻まれている。
T字形の石柱の中には、大きなもので高さ5m、推定重量が10tにもなり、石の切出しや運搬を含め、多くの人出が必要だったと推測される。
農耕より先に宗教が誕生か
この遺跡の謎は、これだけ大掛かりな遺跡にも関わらず、遺跡周辺には水場がなく、作業員の住居、農耕の跡もなく、人が生活した痕跡がまるで残されていなかった。
これまで文明の誕生は、まず農耕が始まり、後に組織的な宗教が生まれたというのが定説であるが、ギョベクリ・テペの発見はこの通説を覆すものとなる。
すなわち、考古学の常識であった「人間が狩猟や採集生活から定住して農耕を始め、大きな社会を形成するにつれ生じるようになった集団内部の争いを抑え、共同体としての共通した象徴を信じるために宗教が生まれた」という従来の説の見直しが迫られることとなる。
狩猟時代に神殿が作られているということは、農耕という最初の文明以前に宗教があったことを意味する。
農耕が始まる前、狩猟民族が何らかの原因で定住し始めた頃、自分たちと動物達との大きな境界を意識し始めたことが宗教の始まりであり、長期にわたる神殿建設の間には、作業員や、祭儀のために聖地を訪れる人々に食糧を提供するために農耕が始まったと考えられる。
そして宗教は農耕社会で集団の安定のために引き続き利用されたのではないかと推測され始めている。
トルコで18件目の世界遺産に登録
発掘の甲斐があり、ギョベクリ・テペは昨年、ユネスコ(UNESCO:国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録されることが決まった。
2016年の世界経済フォーラムにおいて、トルコの複合企業ドギュス社が米ナショナル ジオグラフィック協会と提携し、同遺跡の宣伝・保護のための新プロジェクトに1500万ドルを投資することが発表された通り、現在も遺跡の発掘は続いている。
現在のまでのところ、ギョベクリ・テペより規模の小さな円形遺跡が、約200キロ離れた居住地跡で見つかっていることから、ギョベクリ・テペが当時大聖堂の存在であり、その他は地元の教会的な役割をしていたことが分かる。ギョベクリ・テペは太鼓腹の丘という意味の通り、高台にあり、周囲の山々と南に広がる平野を一望できる。丘をさらに掘り進めていくと、神殿でごちそうが振る舞われたことを示すガゼルや絶滅した野生のウシの骨などの遺物が見つかっている。円形施設は使ううちに、砂や石や動物の骨で埋もれるため、数百年後に円形施設ごと土で埋め、その上に新しい円形施設を建てていったことが分かっている。これからの発掘状況にも注目が注がれる遺跡である。
文・写真/横溝絢子(トルコ在住)
銀行員として5年以上住んだニューヨークを離れ、トルコの田舎町、カッパドキアの大ファンになり、移住。2011年より開始。これまでの連載執筆経験、メディア出演実績などは以下の通り。地球の歩き方イスタンブール特派員(連載中)、NHK BS1「世界で花咲け! なでしこたち」、メディアファクトリー「ヤマザキマリのアジアで花咲け! なでしこたち」、BSジャパン「速水もこみち トルコ食紀行」、読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」、毎日放送「世界の日本人妻は見た! 」、NHKラジオ第1「ちきゅうラジオ」、TOKYO FM「コスモ アースコンシャス アクト」など。海外書き人クラブ所属(http://www.kaigaikakibito.com/)。