救世主がたった1人で階段を建設
9日間祈祷のちょうど最終日、1人の白髪男性がサンタフェに現れた。ロバを連れ、大工道具を携えた男は、修道院長マザー・マグデリーナに「何か私にできることはないか」と尋ねた。修道院長は渡りに船とばかりに男を迎え入れ、階段の建設を任せることにした。
後に修道女たちによって伝えられた話によると、男は誰の手も借りず、のこぎりとT定規、ハンマーだけで作業を行ったという。修道女たちに「桶を貸してほしい」と頼み、桶に水を張って木材を浸していたという話も残っている。そして階段が完成した直後――階段は半年から8カ月でできたという説もあれば、数年を費やしたという説もある――、男は煙のように消えてしまった。
修道女たちはお礼の晩餐を予定していたので、慌てた。どうにかお礼をしたい、せめて謝礼を渡さねばとサンタフェ中の木材店を訪ね、新聞広告も打って探したが、彼が再び姿を現すことはなかった。
「ノベナ」で祈りをささげたのが聖ヨセフだったことから、「あれは大工のヨセフ様だったのだ」と修道女たちは結論づけた。
「階段に支柱はない」はウソ?
謎多きらせん階段は、「現代の技術では再現不可能」とまことしやかに言われている。しかし、何人かの専門家は建築方法について一定の見解を示している。
ある者は「階段はバネのようにたわむ仕掛けがしてあり、それこそが構造の秘密ではないか」と推測している。
修道女の1人、シスター・メアリーは「階段は揺れてとても怖かった。降りるときには四つん這いにならなければいけなかったくらいだ」と語っている。こうした声が多かったのだろう、数年後にフィリップ・オーガスト・へッシュという職人によって手すりが付け足されている。
他にも、修道院長であったシスター・ルービン、その他視察に訪れた専門家の多くが「階段を登り降りすると上下に揺れるような感じがする」と語っている。この言葉から、階段はうずまきバネのようになっているのではないかというのである。
異なる説を採る専門家もいる。
らせん階段の湾曲した側桁(かわげた=階段の段板や蹴込み板を支える厚手の板)には非常に固い種類の木材が精密につなぎ合わされており、それが支柱の役目をしているというのである。
それに、支えがないと言っておきながら、実は鉄製の留め具が付け加えられていることを指摘する者もいる。最初にお見せした写真にそれが写っている。
建築したのはフランス人だった?
使用された木材は、トウヒの1種ではないかと言われている。トウヒは北半球に広く分布する常緑針葉樹で、特に北ヨーロッパでよく見られる「ヨーロッパトウヒ」という品種は高さ50メートルにもなる高木であり、建築材に使われている。
ただ北アメリカには10種ほどトウヒの仲間があり、具体的にどれが使用されたかはわかっていない。いずれにしても、当時サンタフェ付近で手に入れられる木材ではなかった。
建築を手がけたのは誰かという謎には、フランス人建築家のフランシス‐ジャン・ロシャスなる人物ではないかという歴史家の見解がある。木材(仮にヨーロッパトウヒとすれば)はフランスから持ってきたとすれば辻褄が合うし、実際ロシャスがその頃、木材を大量に購入した伝票も残っているという。
奇跡は奇跡のままで
かくして、階段の「奇跡」はほとんど解き明かされているも同然なのだが、どの説も「これこそが真実だ」と言われているわけではない。どれも推測の域を出ず、ロレット・チャペルは未だに「階段は聖ヨセフが建てたかもしれない」と紹介している。
そこからは「伝説は伝説のままにしておこう」という人々の気持ちが見え隠れする。とりわけ「聖ヨセフが現れたのだと信じたい」という、修道女たちの強い思いが。
ただ、このらせん階段が140年前に作られて現在まで持ちこたえているというのは紛れもない事実だ。今見ても22フィートの高さから2周スパイラルを描く階段の造形美は見事だし、白で統一された荘厳なチャペルの雰囲気とよくマッチしている。
ぜひ実際に確かめ、奇跡の謎に迫っていただきたい。サンタフェ最寄りのアルバカーキ国際空港サンポートやサンタフェ空港までは、日本から乗り継ぎ1回で飛ぶことができる。
【参考サイト】
「ロレット・チャペル」オフィシャルサイト:https://www.lorettochapel.com/
「Snopes」: https://www.snopes.com/fact-check/stairway-from-heaven/
「Wall of Stories」:http://www.wallswithstories.com/uncategorized/the-story-behind-loretto-chapels-miraculous-staircase.html
文・写真/大井美紗子(アメリカ在住ライター)
アメリカ南部・アラバマ州在住。日本の出版社で単行本の編集者を務めた後、2015年渡米。ライティングのほかに翻訳も務める。日英翻訳書に『京都の仏像なぞり描き』(PHP研究所)など。海外書き人クラブ所属(http://www.kaigaikakibito.com/)。