「明日の自分のために、心の畑に種を播き続ける」
高校1年生でアイドルとして芸能界入りしてから26年。女優、脚本家、作家、そしてコメンテーターとして活躍する陰には、ある人との出会いと30代半ばでの大学入学など地道な努力があった。
←なかえ・ゆり 昭和48年、大阪市生まれ。法政大学通信教育部文学部日本学科卒。15歳で芸能界入り。映画『奇跡の山』で日本アカデミー賞新人賞。NHK連続テレビ小説『走らんか!』ヒロイン。『納豆ウドン』で脚本家、『結婚写真』で作家デビュー。年間300冊以上は読むという読書家で、書評でも活躍。
この人がアイドルだったことをご存知だろうか。テレビの書評コーナーの司会やコメンテーターとして活躍する中江有里さんである。
「アイドル誌の美少女コンテストで優勝し、15歳で大阪から上京。芸能界デビューしました」
CM、ドラマ、映画、歌と仕事の場は広がったけれど、以前から読書好きで、“書く人”になりたいと思っていた。中学生の頃に観たドラマ、鎌田敏夫脚本の『男女7人夏物語』の掛け合いの面白さに惹かれ、脚本家に憧れてもいた。
ピンチからチャンスは訪れた。それが「センタク」の時だった。5年ぶりの映画の撮影が直前に中止になり、2か月という時間がぽっかり空いたのだ。
「自分の代表作にと、期待を込めていた映画でした。それを失った喪失感を埋めるために書き始めたのが、ラジオドラマの脚本です」
その処女脚本『納豆ウドン』が、NHKラジオドラマ脚本賞に入選。28歳の時である。30歳からはNHK衛星『週刊ブックレビュー』のアシスタント、司会を8年間にわたって務めた。これが俳優・児玉清さんとの出会いだった。
「児玉さんからは多くのことを教わりましたが、人とどう向き合うかという“人間力”のようなものもそのひとつ。ご一緒できた5年間は、貴重で贅沢な時間でした」
36歳で大学に入ることを「センタク」。これからも文学の仕事に関わり続けるだろうから、体系的にそれを学ぼうと思ったのだ。
児玉さんと最後に会ったのは、亡くなる前年(平成22年)の暮れ。その時、問われた言葉がある。「君は何をやりたいの。とても中途半端に見えるよ」−−。2作目の小説『ティンホイッスル』を書いたのは、この言葉がきっかけだった。
女優も、もちろん現役。演じ、読み、書き、話してきた。まだ、ひとつを「センタク」するつもりはない。今は明日の自分のために、心の畑に種を播きたいという。
←22歳。単発ドラマ撮影中の一コマ。ドラマ、映画出演と多忙を極めていた。
←高校卒業は5年かかったが、大学は4年で卒業。自主的に学ぶのは楽しかった。卒業の年の1月、『ティンホイッスル』を発表。
●小説『ティンホイッスル』に登場する人たちの「センタク」やそこに込めたテーマなど、ここでは書ききれない話は「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。
ワタシの、センタク。
http://towa-sentaku.jp/anohito/sarai/
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