文・取材/山内貴範
鳥海山の麓に拡がる秋田県羽後町(うごまち)には、東北地方でも有数の約60棟の茅葺き民家が立つ。中でも、多くの茅葺き民家が残っているのが蒐沢(あざみざわ)地区である。
まとまった数が残るにもかかわらず、観光地化がなされていないため、今も時が止まった桃源郷のような光景が目の前に広がる。
なぜ、羽後町には、これほど多くの茅葺き民家が残ったのだろうか。理由の一つに、屋根を葺く専門の職人が健在であることが挙げられる。
蒐沢地区に住む村上賢助さんは、90歳にして、今も屋根に上る現役の茅葺き職人だ。全国では屋根を住民の手で葺き替える例もあるが、羽後町の茅葺き屋根は分厚く、しかも豪雪地帯ということもあり、高度な技術が求められる。
「難しいのは軒先の仕上げですね。少しでも手を抜いてしまうと、つららが落ちるときに茅が抜けてしまいます。手間もかかりますが、屋根を長持ちさせるためには丁寧な仕事をしないといけません」と、村上さんは話す。
それまでは住宅の専門だったが、近年は腕が買われて、お寺の屋根の葺き替えも行うようになった。
羽後町でも、茅葺き民家を貴重な資源として生かす取り組みが始まっている。町が支援するかたちで後継者の育成が行われ、現在、2人が村上さんのもとで技術を学んでいる。
「私も80歳を過ぎた頃、引退しようと思っていましたが、町の事業に協力するために引退が延びました(笑)。2人とも、今年で5~6年目ですが、1人はどこにいっても心配ないレベルの職人になっていますよ」と、村上さん。
この日、村上さんが実際に屋根を葺き替えている現場に向かった。築100年以上の阿部清一さんの家である。
「村上さんの腕は本当に素晴らしい。雪が積もっても屋根が傷まないのです。茅葺き民家の維持は大変ですし、冬は寒いです。ただ、夏はクーラーが要らないほど快適で、この涼しさは何物にも替えられませんね」と、阿部さんは話す。
村上さんは、屋根葺き職人という仕事に脚光が当たるようになって嬉しいそうだ。
「年々、茅葺きは減少しています。それでも、できる限りは屋根に上りたいと思いますし、技を後世に伝えていきたいですね」
茅葺きを残したいという人の思いに応えるべく、村上さんは今日も屋根に上り続ける。
【羽後町の茅葺民家集落】
所在地:秋田県雄勝郡羽後町軽井沢字蒐沢
アクセス:JR湯沢駅からタクシーで約90分。公共交通機関はありません。
※住民が生活していますので、見学の際は敷地内に無断で入らないなど、ご配慮ください。
文・取材/山内貴範
昭和60年(1985)、秋田県羽後町出身のライター。「サライ」では旅行、建築、鉄道、仏像などの取材を担当。切手、古銭、機械式腕時計などの収集家でもある。