文・写真/ブルーム知央(海外書き人クラブ/ニューヨーク在住ライター)
ローワーマンハッタンからミッドタウンのハドソン・ヤードまで伸びる空中庭園、ハイライン。ニューヨーク市が古い鉄道の高架跡を再利用して作った全長2キロあまりの歩道型の庭園では、ビルとビルの間を縫いながら配置された花壇に蝶々や蜂が蜜を求めて飛び回り、マンハッタンの真ん中にいながらにして自然を感じられるニューヨーカーの憩いの場となっている。
そのハイラインの起点である14丁目にアメリカンアート専門の美術館ホイットニー・ミュージアムがある。
モダンな白い建物は上階にマンハッタンを見渡せるテラスが立体的に設けられ、ニューヨークの他の美術館には見られない開放感がある。
先月、ここでワイヤーを使った特徴のある抽象彫刻作品で知られる日系人アーティスト、ルース・アサワさんの特別展がオープンした。
アサワはカリフォルニア生まれの日系二世。農家を営む日系移民の両親のもとに四女として生まれ、太平洋戦争中の多感な時期をカリフォルニアとアーカンソーの日系人収容所ですごした。
あまり日本では知られていないが、白雪姫やピノキオなど数々の名作が生み出された「ディズニー黄金期」(1937年~1942年)には、ベニー・ノボル、イワオ・タカモトなど多くの優秀な日本人アニメーターが制作に関わっていた。しかし彼らアニメーターたちも太平洋戦争勃発とともに職をおわれ、身の回りのものだけを詰めたスーツケースで収容所へと送られていった。(https://www.cartoonbrew.com/classic/japanese-american-animation-artists-of-the-golden-age-9375.html)
まだ若いルースに収容所でアートの手ほどきをしたのは、他でもないこのアニメーターたちだった。この体験が彼女ののちの人生を大きく変えることとなった。
カリフォルニア州アルカディアの収容所は、二棟の馬舎を急あつらえした粗末な建物で「本当に酷い匂いだった」とアサワは振り返る。住み慣れた場所をあとにし、柵が張り巡らされた収容所内で自由のない集団生活を送らざるをえなかった時代について、アサワは68才のときのインタビューでこう語っている。
「私はそのことを恨みに思ってはいないし、誰も責めようとは思いません。つらい出来事を通してなにかいいことが生まれるんです。あの体験がなければ今の私はなかったし、私は今の自分がとても好きなんですよ」(ルース・アサワの公式ウェブサイトより引用 https://ruthasawa.com/life/internment/)
大戦終了後に前衛的芸術教育で知られていたノース・キャロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジに学び、そこで出会った建築家の男性と結婚、サンフランシスコに居を構え6人の子供をもうけた。
1965年ごろまでにはメキシコの編みかごの技術からヒントを経たワイヤー彫刻が世に認められ、芸術家としての彼女の名は確固たるものになっていたが、子供が自然に芸術に触れるためのワークショップをサンフランシスコ市内50の公立学校で開催するなど、教育者としても地元の芸術教育に情熱を注いだ。
その貢献をたたえ、サンフランシスコの芸術専門高校は「ルース・アサワ」サンフランシスコ・スクールオブアートと名付けられている(https://www.sfusd.edu/school/ruth-asawa-san-francisco-school-arts)。
死後の2019年には「アジア系市民を称える月間」を記念して、ルースの姿がGoogle Doodle グーグル・ドゥードゥル(Google 検索のトップに表示されるイラスト)となった。(https://www.cnn.com/style/article/ruth-asawa-google-doodle-trnd/index.html)
女流芸術家というとそのイメージにはとかく激しさやエキセントリックさが付きまとうが、夫の後ろに控えめに立つ女性、そして子供と楽しそうに折り紙をするアサワには草間彌生氏に見られるような雰囲気は見られない。地味なトレーナーに身を包み、6人の子供を育てながらキッチンの片隅で黙々と自分を表現し続けた。
彼女の作品には見紛うことのない日本芸術の影響がそこここにみられる。水墨画にみられる墨の濃淡や、切り絵、大きな魚拓。日本人の両親のもと、幼少の頃には兄弟たちとお手玉や折り紙をして遊んだ。アサワのつくる著名な白と黒のPaperfold(折り紙アート)はその影響を大きく受けたものである。
Ruth Asawa Through Line と名付けられた今回の特別展は、訳すと「ルース・アサワの軌跡をたどる」という表現がいちばん近いだろうか。
世に知られた芸術家としてではなく妻、母、先生として残した練習用のアートやためし描き。スケッチブックにさらさらと写し取られたデッサンや夫の昼寝姿、フェルトペンの先を自分で切り落とすことで違った風合いを出した毛布の中に埋もれる赤ちゃんの優しい絵。特別展は、彼女亡き後家中のあちこちに無造作に残されていた日常のアート、作品として制作されたのではないアートで彼女の足あとを追うという構成になっている。
小さな三角形を流れる線でほとんどいたずら描きのようにつないだシンプルなデザインは、今回の特別展のために深い青の美しい壁紙として生まれ変わった。
日系人収容所からはばたいた彼女の芸術。残されたアートから日系人としての彼女の人生を追い、表現者、教育者として芸術に身を捧げた彼女の歴史とその人となりを浮き彫りにした今回の展示は、ニューヨークに来る機会があったらぜひ足を伸ばしてもらいたい内容となっている。
ルース・アサワ Ruth Asawa
1926年カリフォルニア生まれ。日系移民の四女として農業を営む両親のもとに生まれる。太平洋戦争時カリフォルニアとアーカンソーの日系人収容所に収容。終戦後、本格的に芸術の道に進む。特徴のあるワイヤーを使った抽象彫刻で知られる。
2013年サンフランシスコの自宅にて死去。
ホイットニー美術館 Whitney Museum of American Art:https://whitney.org/
Ruth Asawa Through Line(ルース・アサワ展)
https://whitney.org/exhibitions/ruth-asawa-through-line
来年1月15日まで8階特設展示場にて開催。
9 Gansevoort St., New York
地下鉄A・C・E線14ストリート(14 St)駅・L線8アベニュー(8 Av)駅から徒歩5分。
月、水、木 10時30分~18時、金 10時30分~22時、土・日 11~18時
火曜定休
入場料25ドル、ただし金曜日7時以降は入場料は任意の金額で入場できます(2023年10月現在)。
6時頃から行列ができるのでお早めに。
ハイライン空中庭園
ハイライン14丁目入り口すぐそば。美術と空中庭園散策を楽しんだあとは、日本でも話題のハンバーガー店シェイク・シャックが至近。ハンバーガーやコーヒーだけではなくビールやワインもメニューにあります。
※:筆者撮影(商業使用の許可済)
文・写真/ブルーム知央(海外書き人クラブ/ニューヨーク在住ライター)
大学卒業後東京で外資系企業勤務を経てカリフォルニア州にてMBA(経営学修士)を取得。大手通信会社のファイナンスオフィサーの職を経て現在はブロガー、ライター、翻訳家として活動中。ニューヨーク郊外在住。世界100カ国以上の現地在住日本人ライターの組織『海外書き人クラブ』(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。