文・写真/ハントシンガー典子(海外書き人クラブ/アメリカ在住ライター)

ワシントンDCから南のバージニア州に入り車で約2時間半の場所に、アメリカで初めて入植に成功したイギリス植民地、ジェームズタウンがある。サライ世代の読者は、「迫害を受けたピューリタン(清教徒)が新天地を求めて、メイフラワー号でマサチューセッツ州プリマスに上陸したのが最初では?」と思ったかもしれない。しかし、プリマス入植は1620年で、じつは1607年のジェームズタウンが先。どうして、日本ではあまり知られていないのか? 

人々から忘れられたアメリカ史

そもそも、ジェームズタウン入植の歴史については、本国アメリカでもよくわかっていなかった。再評価されたのは、90年代に入ってからだ。それには理由がある。

ひとつには、プリマス入植をアメリカ建国につながった「成功物語」とするほうがわかりやすく、アメリカの白人層に受け入れやすかったから。イギリスでの弾圧を逃れ、信教の自由を求めてアメリカ大陸に渡り、一致団結した清教徒たちは「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれ、共同体維持のためにメイフラワー誓約を交わす。植民地における自治政府の運営がプリマスを起点に拡大し、やがてイギリスによる締め付けへの反発から、アメリカ独立運動へと発展。アメリカ連邦制の礎となったと考えられている。

一方、ジェームズタウン入植は、まず動機が好ましくないと感じる人たちが少なくなかった。アメリカ大陸で金などの豊富な資源を発見し財を得たスペインなどに影響を受け、イギリスは北米の植民地開拓を進めるべく投資家から資金を集め、「バージニア会社」を設立。資源獲得、商業的成功を目指す。しかし、金が見つかるどころか、土地を奪われた先住民との対立は激化。ヨーロッパから持ち込まれた疫病のまん延や、干ばつによる飢餓も深刻だった。

アフリカからの奴隷売買、先住民との争いの中で起こった虐殺の連鎖など、アメリカの白人層が目にしたくない多くの闇を抱えていたジェームズタウン。1624年、ついにバージニア会社は解散し、植民地はイギリス王室の支配下に置かれる。今では、プリマスでも同じような問題はあったと見られているが、プリマス入植成功との対比により、ジェームズタウン入植の歴史は軽視されることになったようだ。

ジェームズ川沿いに築かれたジェームズタウン入植地。幾度かの失敗を経て、北米のイギリス植民地支配はここから始まった。(Jamestown National Historic Site 1368 Colonial Nat’l Historical Pkwy, Jamestown, VA 23081 USA)

ディズニー映画「ポカホンタス」の舞台で明かされる衝撃的事実

1994年から始まった「ジェームズタウン再発見プロジェクト」により、ジェームズタウンの歴史的価値が改めて見直されている。考古学技術の進歩によりさまざまな研究が進み、400周年を迎えた2007年には、英国王室からエリザベス女王とフィリップ殿下も50年ぶりに訪れ、国内外で広く認知が進んだ。人種間の対立や差別が社会問題化する中で、歴史を見直そうという人々が増えるに伴い、先住民の歴史への理解、関心も深まっている。

1995年にはディズニープリンセス映画「ポカホンタス」も公開された。モデルとなった先住民酋長の娘、ポカホンタスは実在し、ジェームズタウン入植者たちと先住民との関係改善に貢献をしたことも事実と考えられている。ただし入植者のひとり、ジョン・スミス船長をヒーローとする二人のラブストーリーについては、完全なるファンタジーと目されているのであしからず。

ジェームズタウンは、アメリカにアフリカから最初に奴隷が送り込まれた地ということも明らかになっている。ジェームズタウンでは、後にポカホンタスと結婚し、1児をもうけたジョン・ロルフの先導によりタバコ栽培が成功し、植民地経済を支えたが、アフリカからの奴隷がそうした農園の主な労働力となった。そこから奴隷貿易が拡大し、アメリカ南部での農園経済が確立され、後の南北戦争、奴隷解放宣言へと歴史が動いていく。

国立公園となっているジェームズタウンには、砦や教会などの遺構が点在し、博物館では多くの出土品から当時の様子をうかがい知ることができる。博物館で見逃せないのは2012年に出土された10代少女の人骨、「ジェーン」についての展示だ。イギリスからの補給船を待つ間、飢餓の時代として知られる1609年から1610年にかけての冬、人々は飢えをしのぐために、犬でも馬でもなんでも食べた。そして、骨の状態や出土した場所などから、なんらかの理由で死亡したこの少女の肉にも手を付けたと考古学者たちは結論付けている。

ポカホンタス像。1613年にジョン・ロルフと結婚したポカホンタスは、1616年に息子のトーマスを連れて夫婦で渡英するが、翌年病死した。
博物館では、多くの展示物からジェームズタウンに生きた人々の知られざるストーリーが明かされる。

「歴史トライアングル」を巡り、アメリカ建国までを振り返る

ジェームズタウンを中心に「歴史トライアングル」として保護される一帯には、1699年にジェームズタウンに代わりバージニア植民地の首都となったウィリアムズバーグ、そしてアメリカ独立戦争の要所となったヨークタウンも含まれる。ウィリアムズバーグは前述のエリザベス2世のみならず、この5月に戴冠式を終えたばかりの現英国王、チャールズ3世を筆頭に世界の要人が滞在しており、1975年の初訪米時に昭和天皇も訪れている。

中でもコロニアル・ウィリアムズバーグと呼ばれる地域は、ほかにはない特徴を持つ。イギリス植民地時代の町の営みが再現され、住民が当時の服装で出迎えてくれるのだ。まるでタイムスリップしたかのような気分になれる「生きた歴史博物館」に、アメリカ全土から多くの観光客や修学旅行生が訪れる。鍛冶や印刷、織物などの実演も好評だ。植民地時代に創設され、3人の米大統領を輩出したウィリアム・アンド・メアリー大学もここにある。

一方、ヨークタウンは、1781年のアメリカ独立戦争最後の戦闘が繰り広げられた古戦場が国立公園となっている。アメリカ軍、イギリス軍、アメリカ軍を支援したフランス軍の陣地跡などが当時の激戦を物語る。ヨークタウンの戦いで窮地に陥ったイギリス軍を降伏させ、勝利を挙げたアメリカ軍指揮官は、初代大統領のジョージ・ワシントン。17歳の時、前述のウィリアム・アンド・メアリー大学で測量士の免許を取得している。

そう、この「歴史トライアングル」に来れば、最初の入植から独立するまでの歴史を総ざらいできるのだ。ペリー率いる黒船の来航から、今年でちょうど170年。それ以前のアメリカについて知りたくなったら、ぜひ訪れてみて欲しい場所である。

コロニアル・ウィリアムズバーグの歴史を象徴するガバナー・パレス(総督公邸)は、英国王室の権威を感じさせる造り。(Colonial Williamsburg 101 Visitor Center Dr, Williamsburg, VA 23185 USA)
ヨークタウンの古戦場におけるイギリス軍の防衛ライン跡。(Yorktown Battlefield 1000 Colonial Nat’l Historical Pkwy, Yorktown, VA 23690 USA)

参考:
American Center Japan(日本語)https://americancenterjapan.com
Colonial National Historical Park https://www.nps.gov/colo
Jamestown Rediscovery https://historicjamestowne.org
Colonial Williamsburg https://www.colonialwilliamsburg.org
Williamsburg Yorktown Daily https://wydaily.com

文・写真/ハントシンガー典子(アメリカ・シアトル在住ライター)
米シアトル在住。エディター歴20年以上。現地の日系タウン誌編集長職に10年以上。日米のメディアにライフスタイル、旅、育児など、さまざまな記事を寄稿する傍ら、米企業ウェブサイトの日本語ローカライズ・編集・コピーライティング業に従事。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。

 

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