文・写真/柳沢有紀夫(海外書き人クラブ/オーストラリア在住ライター)

「廃墟ブーム」と言われて久しいが、東京近郊の名所の一つが横須賀沖にある「猿島」だ。幕末から第2次世界大戦にかけて江戸と東京を守るために砲台などが設けられた軍事要塞で、レンガ造りの兵舎や弾薬庫、そしてトンネルや切り通しに当時の面影を残す。

そんな猿島にも似た施設がオーストラリア第3の都市ブリスベンにもある。市の中心部を流れるブリスベン川の河口近くにある「リットン要塞(Fort Lytton)」だ。建設されたのは1881年だから、1847年の猿島の34年後。当時オーストラリアはまだ英国の領土だったが、当初の建設目的は水底の下に広がる炭鉱とブリスベンの街を、領土争いを繰り広げていた他のヨーロッパ列強から守ることであった。

オーストラリア連邦が英国から独立して建国したのは1901年だが、その前後にはこの「リットン要塞」には6門の大砲と2挺の機関砲が備えられていたという。1914年に始まった第1次世界大戦のころもブリスベンを守る最前線であったが、第2次世界大戦時には沖合にあるモートン島とブライビー島にある砲台が主要な役目を担うことになる。それでも「リットン要塞」はブリスベン川を遡上して市の中心部に侵入する船に対する「最後の砦」であった。ちなみに第2次世界大戦の終結時にはその役目を終えているので、こちらは猿島とほぼ同じだ。

「要塞」に入る前にも愉しみ盛りだくさん

現在、この「リットン要塞」は周辺部も含めた200メートル×300メートルほどの小さな「フォートリットン(「リットン要塞」の意味)国立公園」となり、クイーンズランド州政府の管理下に置かれている。日曜日と多くの祝日に限り10時から16時まで一般公開されていて入場料は無料。また1月の最終週から12月の第2週まではボランティアによるガイドツアーも開催されている。

駐車場に車を停めるとすぐにかつて医務室、ボイラー室、浴室、洗濯室などに使われた建物が並んでいる。その先には芝生の広場があり、端のほうには「64ポンド砲」という大砲が2門並んでいる。

「64ポンド砲」の台座の下には鉄道用のような車輪とレール。この「リットン要塞」は前述のように「専守防衛」が目的だから大砲の場所を移動させる必要はないが、川を遡上する敵船に合わせて向きは素早く変える必要がある。そのための工夫だろう。

またあちこちに大砲や機関砲などが展示されている。

いざ、要塞内部へ

そして駐車場から見て右奥にある幅3メートルほどの細い濠の向こうが実際の「リットン要塞」だ。要塞の建物内にも実際に足を踏み入れることができる。

かつて兵士たちが移動した場所だと思うと、こちらも少し緊張する。今にも向こうから誰かが走ってきそうだ。

手すりなどはあとから設置されたものだが、レンガの壁も天井も当時のままだ。

要塞の壁に隠され、普段は敵からは見えないようになっている「アームストロング式6インチ砲」。台座をせり上げることでわずか20秒で砲撃体制に入ったり、逆に隠したりすることもできる。

のどかな風景が広がるが、目の前には機関砲が設置された小屋。こうやって立つと河口から侵入する敵船を迎撃するには適した立地であることがわかる。

機関砲が設置された小屋はかなり粗末な構造にも見える。ここで戦うとしたらかなり心細い気がしないでもない。

要塞内のほとんどの場所は自由に歩き回れるが、段差がある構造物のそばは立ち入り禁止の場所も多い。

要塞内のスペース。中はレンガ造りだが上には土が盛られているので上空からは軍事施設があるとはわからない。さてここは当時何に使われたのか。想いを馳せるのもまた楽しい。

要塞の外には2部屋あわせても小学校の教室半分程度の広さの小さな博物館も併設させている。かつては兵士たちの食堂として使われた建物だ。

オーストラリアと戦火をまみえた日本

さて、この「リットン要塞」は日本にも縁がないわけではない。第2次世界大戦時のオーストラリアの主要な敵国は日本だからだ。そう記すと驚かれる方もいるかもしれない。「太平洋戦争」とか「鬼畜米英」とか「ABCD包囲網」という言葉が有名なため、第2次世界大戦の相手国は「アメリカのみ」とか「アメリカと英国」とか「アメリカと英国と中国と(インドネシアを植民地にしていた)オランダ」と思われている節もあるが、じつはオーストラリア軍ともパプアニューギニアなどで激戦があった。

またオーストラリア人たちに語り継がれているのに日本人はほとんど知らない事実として、日本軍によるオーストラリア本土の空爆がある。合計約100回あったとされるが、1942年2月に行われた軍港都市ダーウィンの空襲は激しく、ダーウィン港は海軍主要基地として機能を失ったほどだった。さらには日本軍の攻撃に遭いフィリピンを脱出したマッカーサー司令官が新たに司令部を置いたのがオーストラリア、しかも「リットン要塞」のあるブリスベンであった。

そんな敵国出身である筆者でも、この「リットン国立公園」もそこで働くボランティアの人たちも温かく迎えてくれる。両国の英霊たちに敬意を払いながら見学し、今の平和な両国関係のありがたみを噛み締めたい。

海の向こうではまだ戦争が続いている。

リットン要塞軍事史跡のオフィシャルサイト:https://fortlytton.org.au/
フォートリットン国立公園のオフィシャルサイト:https://parks.des.qld.gov.au/parks/fort-lytton

文・写真/柳沢有紀夫 (オーストリラア在住ライター)
文筆家。慶応義塾大学文学部人間科学専攻卒。1999年にオーストラリア・ブリスベンに子育て移住。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の創設者兼お世話係。『値段から世界が見える!』(朝日新書)、『ニッポン人はホントに「世界の嫌われ者」なのか?』(新潮文庫)、『世界ノ怖イ話』(角川つばさ文庫)など同会のメンバーの協力を仰いだ著作も多数。

 

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