9月に当サイトで公開した『サライ』編集長・三浦一夫の「秋のぶらり旅(https://serai.jp/tour/1090830)」は、岡山の魅力をふんだんに伝える内容で好評を博した。じつは、三浦編集長にはこの旅にもうひとつの目的があった。それは岡山県津山市出身である父方の祖母のルーツを訪ねること。祖母の祖父にあたる八木虎蔵、その兄・八木熊助。三浦編集長から4代前のご先祖である。その熊助が、明治時代に津山銘菓の「初雪」を作っていたという。戦前まで「初雪」は30軒以上で作られてきたが、現在は「武田待喜堂」(たけだたいきどう)1軒のみ。自身のルーツと地元の銘菓、その結びつきを探るのも旅の目的だったが、その糸口は意外なところからほどけていった。
ホルモンうどん店で先祖の名を聞く
鉄板を前に津山名物の「ホルモンうどん」に舌鼓を打つ三浦編集長である。店の名刺に記された所在地からこの物語は始まる。
三浦「そういえば、この店のあるあたりが私の父方の先祖の出身地のようです。名字は八木と言いまして、そこから分家して商売を始めたみたいです」
上山さん「八木ですか。ここらあたりに多い姓ですよ。なぁ、母さん」
と、大将が母の三枝子さんに聞く。三枝子さんは編集長の持参した家系図を見るとこう言う。
三枝子さん「ははぁ、八木家のお寺さんは興善寺ですか。もう寺はなくて跡にお地蔵さんだけ残っておりますよ」
平成5年(1993)に編まれた「津山 八木家考証」(佐藤克三編)によれば、〈美作国の八木氏は、苫田郡上河原邑(現・津山市上河原)の名族〉とある。
上山さん「今度来られるときには、このあたりの八木さんを全員集めておきますわ(笑)」
三浦「ありがとうございます。八木家は『初雪』という菓子を作っていたようです」
上山さん「『初雪』ですか! それ作っとる武田待喜堂のフミさんはワシの高校の同級生ですわ」
確証があってこの店に入ったわけではないが、ことのなりゆきに驚く編集長。これは、武田待喜堂を訪ねればなるまい。
和菓子の老舗で先祖の記した「領収書」を見る
かつては市内の多くの店で作られていた「初雪」であるが、現在は武田待喜堂が唯一の製造元となった。三浦編集長のルーツ探しに、同店の武田富美子さんが対応してくれた。上山さんの同級生の「フミさん」である。ここで「初雪」とはどういう菓子か簡単に解説しておこう。
「初雪」は、ついたモチ米に砂糖を少し混ぜ、薄くのばして切り、乾燥させた干菓子だ。火であぶるとふっくらと膨らむ。サクサクとした軽い食感で、口の中で溶けたあとに、ほんのりと甘みが残る。その食感をはかなく消える初雪にたとえて命名されたという。
口承では、元弘2年(1332)に後醍醐天皇が隠岐へ流される際、津山の院庄(いんのしょう)で一夜を過ごした折、里の老婆が献上したと伝わる。文献では、寛政3年(1791)に津山堺町の丸亀屋熊助(八木熊助)が考案したとある。この八木熊助が三浦編集長の先祖である。「軽焼」、「軽焼地」などと呼ばれていたが、明治10年(1877)に八木熊助が「初雪」と命名したといわれる。熊助の名は、八木家の当主が代々襲名してきた。
店には「初雪」の領収書の写真が額に入り掲げられていた。日付は明治17年(1884)5月25日。受け取りの名は八木熊助だ。三浦編集長の祖母の祖父の兄、4代を遡る明治の先祖の名がそこにあった。領収書に記された「初雪」の数はなんと1万3000枚、代金は7円80銭とある。現在の「初雪」は2枚230円なので、この数を買うと単純計算で149万5000円となる。
この大量の「初雪」を購入したのは、旧津山藩主・松平斉民(まつだいら・なりたみ)だ。明治17年5月、斉民は墓参のため19年ぶりに東京から津山を訪れた。帰京の際に土産として「初雪」を購入したようだ。安政2年(1855)まで津山藩主を務めた斉民であれは付き合いも広く、これだけの枚数が必要だったのかもしれない。津山から東京は遠い。「初雪」は薄くて軽いうえに、日持ちがすることも決め手になったのではないか。
「今はインターネットである程度までは調べられますが、やはり現地を歩くと歴史的な重みがまったく違う。八木熊助の領収書も見ることができました。なにより『初雪』が今でも作られていることに感激しました」(三浦編集長)
周辺に八木性が多いと教えてくれた「お好み焼 三枝」の上山さん、「武田待喜堂」のフミさんは上山さんの同級生、そしてこの領収書までつながった。三浦編集長のルーツ探しの旅は、かくして終わった。もちろん、帰京の土産は「初雪」だ。ささやかに12本入りを求める編集長であった。
「初雪」はモチ米と砂糖だけを使ったシンプルな菓子だ。武田待喜堂では自家栽培したモチ米を代々使っている。「うちで作っている品種はもう流通していないんです。品質にバラつきがなく、『初雪』にはやっぱり自家製米が一番です」と武田富美子さん。自家製モチ米を使った「鶴山おこわ」も評判だ。「初雪」も「鶴山おこわ」も地元で長く愛される品である。
武田待喜堂
開店時間:9時~18時、不定休
岡山県津山市宮脇町23
電話:0868-22-3676
アクセス:JR津山駅より徒歩約20分
https://takedataikido.shopinfo.jp
参考:「津山 八木家考証」(佐藤克三編)、「津博 No.72」(津山郷土博物館)、「会誌 食文化研究 No.8. 13~24」(2012)、「関西農業史研究会第337回例会」(2012年1月21日)、「広報 津山」(2018年11月/津山市)
津山のおすすめスポット【番外編】
自身のルーツ探しから観光名所まで精力的に回った、前回の「秋のぶらり旅」。三浦編集長はこんなところも巡っていた。本編に載せきれなかった、城下町・津山の魅力的な立ち寄りどころを2軒ご紹介します。
「NishiIma25」
両親の故郷に戻り、古民家でギャラリーとカフェを開く
「初雪」の武田待喜堂から歩いて1~2分のところに、ギャラリーとカフェ、そして民泊もできる多目的スペース「NishiIma25」(にしいま25)はある。周囲には古い家並みが残り、城西重要伝統的建造物群保存地区に指定されている一角だ。オーナーは、アーチストの桜井由子さん。西今町25番地にあるので「NishiIma25」と名付けた。
桜井さんは東京で育ち、1999年から2016年までフランス、オランダ、イタリアに滞在し、アーチストのアシスタントなどを経て現代アート作家として活動。帰国後に拠点として選んだ土地が津山であった。
「父は津山の隣町の鏡野町出身、母も津山の出身でしたから子どもの頃はよく里帰りをしていましたし、心の故郷だったのです」(桜井さん)
三浦編集長が聞く。
「とはいえ、東京育ちで海外経験の長い桜井さんです。津山での暮らしには馴染めましたか」
「いろいろ大変なこともあります。東京に住む親のこともありますし。でも、この空間にはアートがあって、川と山が近くにあって、食べ物も美味いし、城西は津山駅からもそう遠くないし、すごく良い環境なんですよ」(桜井さん)
「アートってそんなに難しいことではないんです。大人から子どもまで、気軽に、アートに触れられるスペースを提供できたらと思っています」(桜井さん)
城下町の伝統的な町並みが続く城西地区を散策したら「NishiIma25」で、アートに触れながらひと休みもいい。
NishiIma25
開店時間:11時~17時
営業日: ギャラリー&カフェは木金土日
週替わりランチは1200円。ディナーは3000円~(予約制)
宿泊:常時対応(2日前までに予約)、1泊朝食付き9000円、夕食は1名3500円~
3部屋9名まで宿泊が可能
岡山県津山市西今町25
電話:080-5907-1663
アクセス:JR津山駅より徒歩約20分
https://www.nishiima25.com/
「つやま自然のふしぎ館」
稀少動物のはく製から昆虫、人体標本まで2万点を展示
西日本屈指の桜の名所として知られる鶴山公園(津山城跡)の入り口に立つ、自然科学博物館。元高校の校舎を改装し1963年に開館した。圧巻は世界中の動物のはく製だ。トラ、ヒョウ、ライオンなど動物園でおなじみの動物のほかに「レッドデータブック」に記載されている絶滅危惧種も多々展示。絶滅種である「ニホンカワウソ」のはく製もある。
哺乳類、鳥類、昆虫、貝、鉱石等々、自然界に存在する動植物やモノの圧倒的な量のコレクションが、15の展示室に分けられ見学者を待ち受ける。館の創設者の内蔵まで展示されている。見学が終わると“はく製・標本疲れ”をするほどの内容だ。城下町・津山の静かなイメージを変えてしまうくらいのインパクトがある博物館である。
つやま自然のふしぎ館
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
入館料:大人800円
休館日:3月、7月、9月は月曜。6月、11月〜2月は月曜と火曜。年末年始
電話:0868-22-3518
岡山県津山市山下98-1
http://www.fushigikan.jp/
文/宇野正樹