文・写真/角谷剛(米国在住ライター / 海外書き人クラブ )
世界屈指のカジノとエンターテイメントで知られるラスベガスは、米国西部各州にまたがる広大なモハベ砂漠の中にある。ロサンゼルスから約400キロ離れたこの土地は、約200年前に発見された砂漠の中のオアシスだった。その後のラスベガスは、ゴールドラッシュやフーバーダムの建設などを経て、主に交通の中継地点として発展していったが、あくまで小さな無名の地方都市でしかなかった。桁外れな行動力を持った1人のギャングが現れるまでは。
ベンジャミン・“バグジー”・シーゲルが夢見た楽園
映画『Bugsy』(1991年、邦題『バグジー』)のモデルになった実在のギャング、ベンジャミン・シーゲルは、現在のラスベガスを作り上げた人物だと言われている。
第2次世界大戦が終わったばかりの1945年、その当時は小さな田舎町だったラスベガスのダウンタウンさえからも数キロ離れた何もない土地で、フラミンゴ・ホテルという名の豪華なカジノ付きホテルの建設が始まった。それこそは、砂漠にこの世の楽園を作ろうとしたシーゲルの夢を実現するものだった。
しかし、際限もなくマフィアの資金をつぎ込んだシーゲルは、組織内から危険視される存在になっていった。
当時の金で600万ドルにも及んだ建設資金のうち、200万ドルを恋人のヴァージニア・ヒルが横領したという噂まで流れた。
結局シーゲルは1947年に暗殺され、その後のフラミンゴ・ホテルとラスベガスの発展をその目で見ることはなかった。
現在でもラスベガス・ストリップの中心、フォーコーナーに建つフラミンゴ・ホテルは、シーゲルが、ヒルの長くて細い脚にちなんで命名したと言われている。オーナーは何回も変わり、建物も大改装されているが、ホテル内にはシーゲルのあだ名『バグジー』を冠したバーやレストランがいくつもあるうえ、庭園内には記念碑まである。もちろん現在のフラミンゴ・ホテルはマフィアとは何の関係もないが、その創業者には十分すぎるほどの敬意を払っているようだ。
シーゲルの肖像は今でもラスベガスのあちこちで見ることができる。帽子を目深にかぶって、正面を見つめる有名な写真だ。その若き『バグジー』は映画俳優顔負けの美男子だ。映画で主演したウォーレン・ベイティよりハンサムだと感想を持つ人も多いだろう。
負の歴史までも観光の目玉にするラスベガスのしたたかさ
現在のラスベガスはギャンブルだけではなく、エンターテイメントとショッピングを前面に出して、健全な観光都市のイメージをアピールしている。しかし、かつてマフィアがこの街を牛耳っていた歴史もけっして隠そうとはしていない。市内ダウンタウンにある『The Mob Museum』は日本語に訳すと「犯罪組織博物館」だろうか。マフィアの歴史とその記念物を展示したこの博物館は、ラスベガス市当局と非営利団体が共同で運営している。
4階建のクラシックな建物は、かつてラスベガスの郵便局と裁判所に使われていたものだ。館内にはシーゲル以外にも、アル・カポネ、ラッキー・ルチアーノ、マイヤー・ランスキーなどといった有名なギャングの生涯が紹介され、『聖バレンタインデーの虐殺』現場の壁など、米国内の犯罪の歴史を物語る多数の展示物を見ることができる。禁酒法時代の地下バーを再現したレストランも人気だ。
現在のラスベガスを作ったハワード・ヒューズ
シーゲルをラスベガスの創業の祖とするならば、中興の祖と呼ばれるべき人物はハワード・ヒューズだろう。億万長者であり、映画プロデューザーであり、偉大な飛行家でもあったヒューズは、奇しくもシーゲルと同い年生まれである。そしてヒューズもまた、シーゲルと同じく映画俳優のような美男子であった。
しかし1966年に、ラスベガスの『デザート・イン』を買収した頃のヒューズは強度の強迫性障害に苦しみ、最上階のスイートルームから一歩も外に出ることがなかった。そこから次々とラスベガスのカジノを買収していったヒューズは、この街をマフィアから解放したと言われている。そのヒューズの業績もこの博物館で大きく取り扱われている。
博物館があるダウンタウンは、カジノが立ち並ぶラスベガス・ストリップからは10キロほど離れている。ここにもホテルやデパートもあるが、比較的静かな雰囲気だ。交通量や人の流れもさほど多くはない。ラスベガスを訪れた時は、足を運んでみるだけの価値はあるだろう。
『The Mob Museum』(犯罪組織博物館)
住所:300 Stewart Avenue
Las Vegas, NV 89101
電話:702.229.2734
Eメール: info@themobmuseum.org
公式ホームページ: https://themobmuseum.org/
文・写真/角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。