文・写真/東リカ(海外書き人クラブ/アメリカ在住ライター)
アメリカの太平洋岸北西部、オレゴン州の大都市ポートランド。「ポート(港)ランド」という都市名から海沿いの港湾都市を想像するかもしれないが、内陸の肥沃な農地や豊かな森林と太平洋を結ぶウィラメット川沿いに発展した川の港町だ。
かつては、街の中央を南北に流れるウィラメット川をいくつもの大型船が行き来し、ポートランドは太平洋岸北西部最大の港湾都市として栄えた。
現在、ウィラメット川沿いには、高速道路を取り壊して生まれた15haものウォーターフロント公園が整備されており、いつも多くの市民が憩いの時間を過ごしている。
そんな平和で美しいウィラメット川沿いのエリアだが、その地中には、ダウンタウン、チャイナタウン・オールドタウン地区のホテルやバーから川まで繋がる秘密の地下通路「シャンハイトンネル」が存在するという。
この通路は、ウィラメット川に停泊した船舶からより効率的に諸施設の地下倉庫に商品を運ぶ目的で建設されたそうだ。ところが、「シャンハイトンネル」という通り名が示すように、この暗い地下通路は、別の使い方でも知られている。
シャンハイトンネルの「シャンハイ」は、中国の都市「上海」を語源にもつ俗語の動詞「シャンハイイング(shanghaiing)」からきている。シャンハイイングとは、森林や農場、鉱山などで働く男性を、奴隷として船舶に売り飛ばすために、無理やり船に連れ込む、誘拐するという意味だ。
ポートランドでシャンハイイングが行われていたのは、ポートランドが市として成立した1850年代から運行に多大な人力を必要とする大型帆船(クリッパー)が、蒸気船に取って代わられる1890年代までのこと。ポートランドは「世界のシャンハイイングの首都(Shanghai Capital of the World)」と悪評が立つほど危険な場所だったという。
待機中の船舶へと屈強な男性を拐かすのは、一筋縄ではいかない。そこで、荒くれ者の集う酒場や売春が行われていたホテルに地下通路へと繋がる落とし穴を仕掛け、男たちが浴びるように飲んだ酒や薬で腰が立たなくなったところを見計らって穴に落とし、意識がないうちに船に乗せるという手法が取られたそうだ。男たちが目を覚ました時には、陸地からはるか離れた太平洋沖。ポートランドに戻るまでに中国と米国を二往復させられ、6年もの年月を要した人もいるという。
また、この地下通路は、売春宿、アヘン窟、賭博場へもつながっていたとも言われている。また禁酒法時代(1920年から1933年)には、密造酒の貯蔵場やスピークイージー(違法酒場)としても使われたそうだ。
今もポートランドの地下にはそのままの形でシャンハイトンネルが現存しており、古いビルをリノベーションする際に、隠しドアが見つかったという話も珍しくない。1907年創業の「Dan & Louis Oyster Bar(http://www.danandlouis.com)」内からもトンネルを見ることができる。
筆者が以前に参加した「ポートランド・ウォーキング・ツアーズ(Portland Walking Tours)」が提供する「ポートランド・アンダーグラウンド・サブカルチャーツアー(Sub-Cultural Tour “Underground Portland”)https://www.portlandwalkingtours.com/tours/underground-portland-shanghai-tunnels-tour/」では、1880年に完成した歴史登録財「マーチャント・ホテル(The Merchant Hotel)」ビル内にある階段を下り、かつての阿片窟、そしてシャンハイトンネルの入り口を見学することができた。
「Shanghai Tunnels/Portland Underground Tours(http://www.portlandtunnels.com)」のツアーでは、同ビルに入っている「Hobo’s Restaurant & Lounge (https://www.facebook.com/HobosRestaurantandLounge/)」内からシャンハイトンネルへアクセスするそうだ。
現在はパンデミックの影響でツアーは開催されていないようだが、自由にポートランドへ旅行できるようになった暁には、ポートランドの地下に隠された暗い歴史にも目を向けてみては。
文・写真/東リカ (海外書き人クラブ/アメリカ在住ライター) 米国オレゴン州ポートランド在住。2014年12月に家族でブラジル・サンパウロから移住。現在はフリーランスとして、日本のメディアへの執筆やマーケティングリサーチを行なっている。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。