取材・文/坂口鈴香
「養護老人ホーム」で施設長を務める鶴田康代さん(仮名・57)の話を続けよう。
鶴田さんは、ある修道会に所属するシスターでもある。鶴田さんの勤める養護老人ホームは、この修道会が運営を委託されている。
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■祈ることで、いつもそばにいる神を意識する
このホームで看取りをすることも少なくないという。修道会が運営する施設ならではの看取りとは――
「看取りについては、ご本人やご家族が『ホームで最期を』と希望される場合はそのご希望に沿うよう対応しています。養護の人員配置ではきついところもありますが……。カトリックの信者さんが看取りに入ったら、神父様に特別なお祈りをお願いしたり、私たちもお部屋を訪問してお祈りしたりします。やすらかな旅立ちのために、そういった配慮をするのはシスターである私たちの面目躍如といいますか。
看取りのときの祈りですか? これは『病者の塗油』と言い、容態が悪くなったときのほかにも、普通の方が大きな手術の前に依頼されることもあります。亡くなっていこうとしている方には安らぎを与え、できることなら回復を願って祈ります。実際、危篤状態の方がこの祈りのあとに状態がよくなることがたびたびあります。信仰の篤い方にとっては、祈ってもらうことによって心が強められ、それが体の状態にもあらわれるのではないかと思います。
また、私も日常の生活の中で、困難に直面したときに、たとえば『これを乗り越える力をください』と祈ります。ただ、神さまという存在は、私のすべてを知っていらっしゃるし、たとえ願わなくても必要な助けをくださるのです。でも自分から祈ることで、いつもそばにいる神を意識することができる……。信者でない方に説明するのはむずかしいですね。なにか、きれいごとのようになってしまいます。
死については、それですべてが終わるのではなく、新しいステージに移ると言いますか。私個人としては、そこで亡き父に会うことを楽しみにしています」
■最期まで病名を隠し続けた
鶴田さんの文面からは、終始、達観したような、どこか神の目線のようなものが感じられる。そんなシスターが、ひとつだけ後悔を口にした。亡くなった父親のことだった。
「私の父は、少し具合が悪くなり、肺がんだと判明したときにはすでにかなり進行していました。母と弟といっしょに医師の説明を受けたときのことは、今もはっきり覚えています。絶望感の中で、わずかな可能性に期待して手術を受け、患部はある程度取り除くことができたようでしたが、結局は転移があり、半年以上の入院生活ののちに亡くなりました。30年以上前のことです。
当時、私たちは父に病名を告げた方がよいのではないかと思いましたが、主治医にも親戚にも反対され、とうとう最期までがんであることを隠し続けました。ですが、本当のことを隠したまま、父に接することは私たちにとってつらいものでした。
多分、父が亡くなったあとしばらくして、山崎章郎さんの『病院で死ぬということ』が刊行されたと記憶しています。ホスピスが世に知られるようになったのも、そのころだと思います。私は父が入院してから一度も家に帰ることがなかったことを何より残念に思っていて、今でも涙が出てしまいます。病名を告知していたら、父はもっと残りの日々を自分らしく生きることができたのではないか、いやきっとそうに違いありません。また泣けてきました。これは、私が癒されていない部分なのでしょう」
こんなやり取りをしながら、いつしか鶴田さんからのメールが届くのが楽しみになっていた。そして1年以上にわたるこのやり取りの最後は、鶴田さんの異動を知らせるものだった。
「最後に、私はこの春の修道会の異動で、ある離島に転任することになりました。小規模の特養が新たな奉仕の場です。この地に20年近くいることになろうとは思ってもみませんでしたが、長くいることによってくっついた余計なものを捨てるにはよい機会です。本当に、身軽になれたらと思います。でも、やっぱりいろんなものを持っていくんですけれどね。あとは、母に簡単に会えなくなることが心配です」
こうして、文通をしているようなメールの交換は終わった。ときには1、2か月メールの間が空くこともあり、鶴田さんの文面からはその多忙ぶりが垣間見えた。それでいながら、世俗的な時間や空間を超越したところにいるようなメールには、不思議な味わいがあった。
今でも鶴田さんは本土から遠く離れた島で、祈りと奉仕の日々を送っているのだろう。どこにいても、変わることなく。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。