取材・文/坂口鈴香
この年末年始、ふるさとに帰省して、久しぶりに親の顔を見るという読者もいるだろう。今は元気でも、これからの親の生活に不安を抱いている人も少なくないのではないだろうか。
離れて暮らしていた高齢の親を、子どもの住まいやその近くに呼び寄せたという話はよく聞く。一方で、親を呼び寄せたいけれど、親が慣れない土地に移ることに納得してくれないだろうと、呼び寄せを言い出せないでいる人もいる。
呼び寄せに成功した人はどういうふうに話を切り出し、住み替えまでどんな経緯をたどったのだろうか。四国から娘の暮らす東京に移る決断した末永さん親子のケースをご紹介しよう。
末永サヨさんと娘 葉子さんのこれまで
末永サヨさん(仮名・93)は、50代で夫を亡くして以来、四国で独り暮らしをしてきた。一人娘の葉子さん(仮名・65)は、大学進学と同時に上京。そのまま就職、結婚して、現在も都内に住んでいる。
葉子さんは、サヨさんが75歳を過ぎたころから毎月のように四国に帰り、サヨさんの様子を見ていた。サヨさんは特に大きな病気をすることもなく、元気に暮らしてはいたが、80代後半になると急に何が起こってもおかしくない。独り暮らしもそろそろ限界だと感じ、今後のサヨさんの暮らし方について考えるようになっていた。
ふるさとを離れる決意をしたきっかけ
サヨさんも健康には自信があったものの、不安がないわけではなかった。
サヨさんが、葉子さんの住む東京に行こうと決意したきっかけは、自分の体調ではなく、葉子さんの体調だった。
「帰省した葉子が腰を痛めていたようで、痛そうにしていたんですよ。葉子も60代。毎月遠距離を往復するのは大変でしょう。無理させているなと思いました。それに、もし葉子が私のところに来られなくなると、私もやはり心細いです。それで、葉子が東京に帰るときに『あなたの家の近くで老人ホームを探してちょうだい』と頼んだんです」。
自分から娘の近くに行くと決めたサヨさんの場合は、厳密には「呼び寄せ」には当たらないだろう。それでも生まれ育った地を離れるのは、重い決断であることに違いはない。ところが、サヨさんの言葉にそれほど葛藤があったとは感じられない。
「周囲の人たちは驚いていましたよ。でも私は故郷を離れることにまったく躊躇はありませんでした。いくら故郷とはいえ、90歳にもなると兄弟や友達も亡くなってしまい、親しく付き合う人がガタっと減りましたからね」。
なぜ同居でなく老人ホームを選んだのか
じつは、葉子さんは10年ほど前に自宅を新築するときに、将来のことを考えてサヨさんの部屋を用意していたという。それを知りながら、なぜ同居ではなく「老人ホーム」を選択したのだろうか。サヨさんはこう説明してくれた。
「実の娘でも、考え方もやり方も違います。これまで何十年も離れて暮らしていたのに、急に同居してもお互い楽しくないだろうと思いました」。
サヨさんは早くから精神的に自立し、子離れもできていたようだ。一人娘の葉子さんに、東京の大学を受験させ、東京で暮らすことにも賛成している。
「葉子が東京の大学に合格したときは本当にうれしかった。私の時代は勉強したくてもできなかったので、『これで葉子の人生が開ける』と思いました」とサヨさんは当時を振り返る。
互いの人生を尊重したいという思いが、娘の近くに移っても「ホームで別居」という形を選ばせたのだろう。
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