取材・文/坂口鈴香
大島京子さんの母・総子さんの認知症の進行により、暴言にさらされ続けた父・敏夫さんの体調は悪化。ついに要介護5となり、長い入院生活を送ることになった。大島さんと兄の、仕事をしながらの介護生活はますます大変なものになっていった。
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激怒する母と大量の汚れ物
敏夫さんの入院は3か月に及んだ。その間、大島さんと兄は、交代で総子さんのもとに通った。
「母は、週1回、半日のデイサービスに行く以外は、1日のデイサービスやショートステイはもちろん、入浴も、オムツもすべて拒否していました」
このころが、大島さんと兄がもっとも大変な時期だったと振り返る。
「1週間ほど介護休暇を取って母の介護をしましたが、そう長くも休めなかったので、仕事に復帰しました。仕事帰りに実家に寄り、晩ご飯を作って母と食べ、朝昼食用にすぐに食べられるものを置いて出勤する毎日。父を見舞い、実家に行くと、粗相して汚れた下着が大量に放置してあるので、寝具も含めた洗濯も大変でした。兄と交代しながらなのでなんとか続けられたものの、私一人だと乗り越えられなかったと思います」
仕事中も総子さんから頻繁に電話がかかってきた。「兄とケンカした。憎たらしい。すべてに腹が立つ。食欲もない。おいしくない。つまらない」とひたすら繰り返す。大島さんが兄に聞いてみると、「何度も会社に電話をかけてくるので、突き放したから怒っているんだろう」という返事。そのあとも兄への激怒と、電話は繰り返された。
父を自宅に戻せない
そのころ、敏夫さんが入院している病院からは退院を迫られていた。
「ただ自宅にも認知症の母がいるため、介護の必要な父を自宅に戻すことはできないということで、早急に施設を探してほしいと言われたんです。仕事しながら母の介護をするだけでも手一杯なのに、施設探しまでとなると難題です。どうしたものか、と兄と二人で頭を抱えました」
そんなある日、大島さんは職場に来た回覧物が目に留まった。大島さんの会社では、取引先の商品を紹介するチラシが回覧されることがあった。その中に、有料老人ホームを運営する取引先企業による施設見学会のチラシが入っていたのだ。
「まったくの偶然なのですが、そのチラシを読んでみると、実家の近くにもその企業が運営するホームがあることがわかったんです。そこで早速兄と見学することにしました」
ホームを見学した大島さんと兄は、ホームや職員に好印象を持った。施設を案内してくれた施設長の感じがよかったこと、大島さん兄妹の話をよく聞いてくれたこと、そして、前払金が不要なタイプだったため、実家を処分せずに入居できるということも大きなメリットだった。
このころになると敏夫さんもずいぶんと回復し、意思の疎通もはかれるようになっていた。そこで外出許可をもらい、敏夫さんも大島さんとホームを見学した。
「父も『このホームに入ってもいい』と同意してくれたので、入居を決めました。契約も父が自分でしたいと言ったので、私たちが同席して父が自分で署名もしました」
自分の行き先は自分で決めるという敏夫さんの覚悟が伝わってくる。そして退院したその足で、敏夫さんはホーム住人となったのだった。
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