文/石川 美咲(福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館学芸員)
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』。今週から舞台は美濃から越前へ。というわけで、今回は美濃と越前をつなぐ戦国時代の逸話をご紹介しましょう。
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『麒麟がくる』の第5話「伊平次を探せ」では、元関鍛冶の伊平次が登場しました。関(現岐阜県関市)は中世以来、日本刀の一大生産地です。物語の中で伊平次は、金属加工の腕を買われて近江国友村(現滋賀県長浜市)へ流れ、その後、京都本能寺で将軍から密かに鉄砲の改良を依頼される、という異色の経歴の持ち主でした。あくまでも伊平次は架空の人物です。しかし、伊平次のような戦国時代の関鍛冶が、美濃から他国ヘ、新たな活躍の場を求めて出て行く事例は他にもありました。
その一人が、越前一乗谷(現福井市)へ移住した兼則です。彼が一乗谷に移住した初期に打った刀の一振には、刀の発注主と考えられる「神祇五位大祐卜部定澄(じんぎごいだいじょう・うらべさだずみ)」の銘が刻まれています。この卜部定澄は一乗谷に鎮座する春日神社の神主です。「神祇五位大祐」は定澄の官職名であり、これを名乗ったのは、天文5年(1536)2月から天文14年(1545)の7月までに限られます。
実は、同一人物と考えられる兼則が関で打った刀に「天文十三年八月吉日」と刻まれた一振が伝来しています。したがって、この二振から兼則の一乗谷移住の時期は、天文13年9月以降翌年7月までの11か月間に絞り込めるのです。
なぜ、兼則は一乗谷へやって来たのか。伊平次のように、彼が腕のいい職人であったために、越前に引き抜かれたのかもしれません。確かな理由は不明ですが、当時の美濃の状況が一つの要因となった可能性が想定できます。
兼則の美濃での作刀時期の下限は天文13年。この年の9月、美濃では守護土岐家の家督争いに端を発する大規模な合戦が勃発しました。この戦いに勝利し、覇権を確立した人物こそが斎藤道三です。
一方で、戦は美濃を行き交う人々に深刻な影響を及ぼしました。この頃、美濃へ商品を買い付けに来た近江の商人が「濃州錯乱」ゆえに東山道が不通となり、わざわざ越前を経由して近江に戻ったと史料に出てきます。兼則は、このような時代背景のもと一乗谷へ移住した人物なのです。
これから始まる『麒麟がくる』越前編では、一乗谷に暮らす様々な職人たちの様子も描かれることを期待して、注視してゆきたいと思います。
【参考文献】福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館「解説シート 戦国の輝き~朝倉氏ゆかりの名刀降臨~」2018年
石川美咲/平成3年、群馬県生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科修士課程修了。平成28年より福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館学芸員。共著に『大河ドラマ歴史ハンドブック麒麟がくる 明智光秀とその時代』など。