文/印南敦史
『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(J・ウォーリー・ヒギンズ著、光文社新書)の著者は、アメリカ東部のニュージャージー州生まれ。1927年生まれとのことなので、現在91歳である。
父は、ニューヨークとバッファロー(ニューヨーク州西部)を結ぶリーハイバレー鉄道で営業やサービスの仕事をしていた。母がベビーバギーに私を乗せて線路のそばに連れて行き、赤ん坊の頃から、見るとはなしにSLを見ながら育った。両方の祖父も鉄道関係者と、代々鉄道に縁があったことは、現在私がこうして鉄道写真を撮り、その写真集を何冊か出していることと無関係ではないと思う。(本書「はじめにーー自己紹介」より引用)
この記述からも推測できるように、つまり現在の言葉を使うならば、根っからの「鉄オタ」ということになるのだろう。そして幼いころから、日本とも間接的な縁を持ってもいた。祖父の兄弟が米海軍の軍医として従軍していた関係上、祖父の家には日本の装飾品などがあったというのだ。
その程度のことかと思われるかもしれないが、なにしろ日本に対する情報など圧倒的に少なかった時代のことだ。そんななか、自国のそれとは違う装飾品が、日本に対する印象を強めることになったとしても、まったく不思議なことではない。
だから当時から、著者は日本を特別な遠い国としてではなく、“精神的に近い位置にある国”と感じていたのだろうと推測される。事実、著者はコルゲート大学を卒業したのち、ミシガン大学で修士課程を修了。まずは1956年に初来日することになる。
日本とも鉄道とも早くから縁のあった私が、駐留米軍の軍属として日本の土を踏んだのは、1956年3月31日だった。羽田についたのは午前2時頃で、軍用バスで横須賀まで移動した。入国前に、すでに広島の呉に配属された友人から日本の鉄道システムについてあれこれ聞いていた私は、入国前から、日本国内での電車での旅の仕方を考えていた。そんなこともあって、バスの車窓から見える京急の線路にワクワクしたものだ。深夜のことで、電車は走っていなかったが、それでも道路と並行して走る線路が見えたのを覚えている。(本書「はじめにーー自己紹介」より引用)
どうだろう、まさに鉄オタそのものというべき文章ではないだろうか? 読んでいるだけで、初めて目にする日本の鉄道に対するワクワク感が伝わってくるようだ。
しかも注目に値するのは、このときの体験がきっかけとなって、著者が日本の鉄道にはまってしまったという事実である。そのため帰国後も、なんとか日本に戻りたいと思っていたのだという。
チャンスは、本人の予想以上に早く巡ってきた。1958年6月に、府中の空軍の軍属として再来日することになったのである。そして1960年に日本人女性と結婚し、日本に在住する。ここから本格的に、日本との長いつきあいがスタートするのだ。
1962年に、帰国する友人の仕事を引き継ぐ形で、国鉄の国際部の仕事を手伝うようになった。当時の勤務先だった米軍や多くのアメリカ企業では、すでに週休2日で土日休みが定着していたが、日本の企業はまだ土曜日は仕事だった。それを利用して、土曜日に国鉄本社のある丸の内に行って仕事をするようになった。英文関係の仕事が主だったが、そこから、さまざまな国鉄関係の同僚、友人たちとの交流も生まれたことを考えると、趣味と実益を兼ねた素晴らしい仕事だった。(本書「はじめにーー自己紹介」より引用)
当時をこのように振り返る著者は、国鉄の顧問を務め国鉄が民営化されてからはJR東日本に属することになった。現在も東京に住み、国際事業本部顧問を務めているのだという。
そして、そんなプロセスと並行しながら、当時は貴重だったカラーフィルムを使用し、60年にわたって写真を撮り続けてきた。本書はいわばその足跡を振り返った貴重な一冊なのだ。
撮りためてきた最上質のコダクロームの6000枚のなかから厳選された、382枚におよぶ貴重な写真が収められている。それだけでも貴重なのだが、さらに重要なポイントは、これが単なる鉄道写真集ではなく、“元祖「撮り鉄」がフィルムに収めてきた昭和の記録”にもなっていることだ。
山手線、中央線、地下鉄、私鉄沿線、東京東部・島部からなる「東京編」、北海道、東北、北陸、関東、中部・東海、近畿、中国、四国、九州をめぐった「各地方編」、そして働く人や看板などに着目した「テーマ別写真集」による構成。
鉄道写真が中心ではあるが、東京やさまざまな地方都市、山々などに暮らす人々の姿もしっかりと切り取られているのである。
写真はどれも時の経過を意識させないほど美しく、それらに添えられた著者のコメントもわかりやすい。だからいつの間にか、ぐいぐい引き込まれていってしまう。
筆者は1962年の東京に生まれたのだが、細部に目を凝らしているうち、数々の写真のどこかに自分が写っているかのような錯覚を覚えもした。そのくらいリアルで、どこかで見たことがあるような光景であふれているのだ。
だから写真を眺めることによって、当時の暮らしを疑似体験できた。ページをめくっているだけで、懐かしいような、不思議な気分になれたのだ。
でもそれは、筆者だけにあてはまることではないに違いない。いわばサライ世代のすべての人が、本書を通じて同様の感覚を意識できるはずなのである。
『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』
J・ウォーリー・ヒギンズ/著
光文社新書
2018年10月発売
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』などがある。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)。